中上貴晶かく走りき! 天才少年はいかにして最高峰まで歩みを進められたのか、MotoGPに至る軌跡とは?
J-GP2クラスで果たしたシーズン前の自分との約束
しかし、Moto2クラスからのGP復帰をにらみ、2ストロークから4ストロークにカテゴリー変更したことが吉と出る。 2010年は古巣のハルク・プロから市販車ベースのST600に参戦。開幕戦で優勝して健在ぶりを見せると、2011年はMoto2マシンにより近いJ-GP2クラスにエントリー。連戦連勝でタイトルに向けて邁進する中、ターニングポイントとなる出来事が訪れる。急きょ、イタルトランス・レーシングから日本GPに代役参戦する話がまとまったのだ。 レースウィークに入ると初日からレギュラー勢と互角に渡り合う走りを披露。日曜のウォームアップで転倒して骨折したため、決勝は出走しなかったが、チームに強い印象を残した。
怪我の影響で翌週行われた全日本も欠場したが、その1戦を除く全戦でポール・トゥ・ウィン。2度目の全日本チャンピオンに輝くと、その後、イタルトランスからのMoto2フル参戦決定の知らせが舞い込んだ。それは「タイトルを獲って世界へ戻る」という強い気持ち、シーズン前に交わした自分との約束を果たした瞬間だった。
Moto2で2回の優勝! 満を持して最高峰クラスへ
イタルトランスで戦った2年間、日本が誇る韋駄天は持ち前の速さを徐々に発揮する。2012年のイタリアGPで初めてトップを走ると、2013年の開幕戦では序盤から先頭に躍り出て初ポディウム。1年を通して3度のポールポジション、5回の表彰台を掴み取った。
イデミツ・ホンダ・チーム・アジアに移籍した2014年はチーム力の問題もあり、成績は下降線をたどるが、2015年はサンマリノGPで3位表彰台に立つなど、ランキング8位と復調。2016年はオランダGPで初優勝を遂げ、総合6位。2017年もイギリスGPで優勝し、MotoGPクラス昇格を決めた。
表彰台、優勝にあと半歩まで迫った充実の2020年
キャリアのハイライトといえるのは、やはり2020年だろう。マルク・マルケスを長期欠場で欠く中、ホンダ陣営の実質的エースとして活躍し、9連続を含む11回のシングルフィニッシュ。スティリアGPでは「赤旗による中断さえなければ表彰台のみならず優勝も狙えた」と語り草になる追い上げを見せた。