住民以外は「日本一乗るのが難しい」定期特急に乗ってみた 「あれ、さっき出てった“普通”列車じゃん!」
「むろと」が唯一の特急である要素
日本全国には、ダイヤの関係で現地の住人以外は乗ることが困難なレア特急列車がいくつか存在します。定期運行されているJR特急で、最も乗りにくい列車――それはJR牟岐線の徳島~牟岐間を走る特急「むろと」だと筆者(安藤昌季:乗りものライター)は思います。 というのも、早朝と深夜に、全区間でほかの特急が走っていない路線を1日1往復している列車は、ほかにないからです。 【写真】電車からの流用も!? レア特急「むろと」車内を見る 牟岐線はかつて、優等列車がそこそこ走る路線でした。最初の優等列車は1962(昭和37)年に運行開始した準急「むろと」で、高松~牟岐間の運行でした。「むろと」は1966(昭和41)年より急行となり、JR四国となった1988(昭和63)年に「阿波」へと改名されます。 1990(平成2)年、急行「阿波」は特急「うずしお」に格上げ。さらに阿波池田~徳島間の特急「剣山」が牟岐線を経由し、阿佐海岸鉄道の甲浦駅(高知県東洋町)まで直通を開始します。そして1999(平成11)年になって、高松~牟岐間の「うずしお」が系統分離され、徳島~甲浦・牟岐間の特急「むろと」になりました。 「むろと」は徳島~甲浦間を走る下り2本、上り1本と、徳島~牟岐間の1往復が設定されました。下りと上りの本数が合わないのは、JR徳島線から直通する「剣山」が設定され、トータルで牟岐線内4往復となっていたからです。 その後2001(平成13)年に、甲浦駅への直通を終了。2006(平成18)年、徳島~阿南間に毎日運転の臨時列車として2往復が追加運行され、2008(平成20)年より特急「ホームエクスプレス阿南」に変更されました。 しかし利用客減少により、2019年に「むろと」は1往復のみに減便。「ホームエクスプレス阿南」は廃止され、現在に至ります。
フットレストが備わる なぜ?
では「むろと」はどの程度利用されているのでしょうか。2024年8月下旬の平日、筆者は徳島19時33分発の「むろと1号」で牟岐まで乗車し、翌日に牟岐6時59分発の「むろと2号」で徳島へ戻ってみました。 「むろと1号」は徳島駅へ19時5分ごろに入線します。キハ185系ディーゼルカーによる2両編成で、1号車の一部が普通車指定席となっており、青い枕カバーで区別されています。 1号車の座席にはフットレストが付いていました。本来のキハ185系には備わらないのですが、この車両は一度 普通列車用に改造された後、特急用へ復帰しており、その際に8000系電車のリニューアルで不要となった座席へと換装されたのです。トイレも洋式化されています。 「むろと1号」は指定席の1号車15番AB席であれば、運転台越しの前面展望が楽しめます。発車前ですが、車掌が来て検札されました。1号車は指定席に4人、自由席に3人、2号車は自由席に12人が乗車していました。 座席定員は2両で120人ですから、乗車率は16%と寂しいです。出発して3分、最初の停車駅である阿波富田で4人が乗車して23人となりますが、1人下車があり、車掌が乗客から特急券を回収しに行きました。 19時46分、南小松島着。わずか13分で指定席から1人が下車しました。その後は乗降なしで、20時2分に牟岐線の中心駅である阿南に到着。大量に下車し、筆者以外は自由席に6人だけとなりました。 20時7分着の阿波橘駅で1人、20時12分着の桑野駅で2人が下車。20時37分着の日和佐駅で1人が下車し、ついに筆者以外の乗客は1人だけとなりました。人家がなく、周囲は暗闇。列車に葉が触れる音が響いて、回送列車に乗車しているような寂しさを感じます。20時58分、「むろと1号」は終点の牟岐駅に到着しました。