「平時のつながり」「障がい者も一緒の視点」が大切 「アゴラ23」シンポで大地震への備えのあり方議論
電気、ガスなどのライフラインは全て止まった。桃子さんが乗った車いすはさまざまな医療機材や荷物も積むと重さは80キロから90キロにもなる。エレベーターが止まった階段をかついで降りることはできなかった。桃子さん一人を余震が続く室内に残して外に出るわけにはいかない。母娘は乾燥パスタに水を含ませて飢えをしのいだ。兵庫県神戸市の知人から食料が届いたのは3月29日だった。
「娘は吸引器をさらに夜間は人工呼吸器を付けるといった医療的ケアを必要としています」。登壇した実和子さんは大震災当時の辛苦の日々を振り返りながら話し始めた。実和子さんが一番困ったのは食料だったという。「電気も止まり、寒い中、体温調節も難しく大変だった。町内会が食料を配ったが娘を置いて取りに行くことはできず、そんな生活がいつまで続くかとても心配だった」。
地域とのつながりを大切に
実和子さんは「災害時は皆自分のことで精一杯で『(障がい者を抱えて)うちは大変なので助けて』とはどうしても言えなかった」と言う。「困難な人を支えてくれる人たちも同じ被災者で、大きな災害が起きると皆が等しく被災者になってしまう。そうなるとどうしても(障がい者への)支援が抜け落ちてしまう」。
大きな災害を経験した母娘はその後、日頃から地域とのつながりを大切に、町内のお祭りや集会になるべく顔を出すようにした。桃子さんは昨年10月からはリハビリ専門学校の生徒とかわいい食器などのグッズづくりを始めた。今年5月からは障がいを持つ生活の実態などを伝える“特別授業”もしている。最初は気をつかうあまり桃子さんとの距離をなかなか埋められなかった生徒たちとの距離も縮まったという。
「障がい者と(健常者が)一諸に触れ合ってともに成長していくことがとても大切であることを特別授業通じて感じた」と実和子さん。「外にどんどん出て行ってこうして話すことが自分たちの役割だと思う」と、宮城県内での講演会などで積極的に発言、発信している。10月にはIRIDeSの栗山所長らとインドネシアで開かれた防災関連の国際会議にも出席し、講演している。