消えゆくものの魅力。天然秋田杉で木桶を作る
湯気が立ち上る釜揚げうどん、色鮮やかなちらしずし…。脳裏に浮かぶ一品は“木桶”の器に入っているに違いない。風呂桶、たらい、漬物桶、どれも昔は木桶だった。プラスチックや金物にとって代わられたのは半世紀も前。熟練の技で木桶を作る職人は、今ではほとんど見られない。「桶屋の将来は駄目だ」と言いながら、朗らかに天然秋田杉の木桶を作り続ける職人を秋田県横手市で取材した。
「おじいちゃん、桶作ってるんだよ」
私が勤める図書館の利用者、遠藤正純くん(9)。お母さんと妹と3人で週末毎に図書館に来ては絵本や図鑑、物語などを借りていく常連さんだ。その日、正純くんはおじいちゃんの話をしてくれた。「今日ね、広島に行ってるんだよ」「なにしに行ってるの?」「桶を売りに行ってるんだよ!」「桶?」「おじいちゃん、桶作ってるんだよ」 今、日常生活で“桶”を使う機会はあるだろうか。そんな道具を作っている人がいる。 薄い座布団にぺたりと座り私を見上げた老人は、竹を編む作業の手を止め、顔をほころばせて招き入れてくれた。高く通る声は快活そのもので、穿きこんだジーンズ姿が若々しい。盛んに焚かれた薪ストーブの傍で、頬をふんわり赤く染め、目元に皺を寄せて笑う。 その作業場は、凛とした黒い外壁の、真新しい二階建ての家の奥にあった。あたりは丁寧に除雪されている。冬のこの時期には珍しく空は青く、積もった雪が日差しをうけて眩しいくらいだった。案内してくれた奥さんが「後の小屋」という作業場は、屋根には白煙が細くのびる煙突が見え、雪解けの滴がぼたぼたと軒下に跳ねていた。硝子戸をあけ土間をぬけ、作業場の中に入ったとたん、木の香りと薪ストーブの暖かさに包まれた。
入れ物という入れ物が木桶だった
「まさたろうさんとお読みするのですか?」「んだんだ。おやじは政一(まさいち)。じいさんは政蔵(まさぞう)」 そう言って初対面の私に笑顔で話す遠藤政太郎さん80歳。秋田県南部、横手市平鹿町浅舞で3代続く遠藤桶製作所の主だ。 8人兄妹の長男だった政太郎さんは、中学卒業後すぐに家業の桶屋で桶職人となった。父親の政一さんを23歳のときに亡くし、若くして3代目に。弟妹の父親代わりとなり、高校を卒業させ、就職させ、嫁に出した。 「おやじのこと、大好きだった。んだがら、おやじの名前を息子さつけだなだ。息子は正和(まさかず)っていう」 顔じゅうを皺でいっぱいにして家族のことを語る。木桶の底を削る力強いゴリッゴリッという音が響き、辺りに木屑が散った。