1試合10四球→深夜2時起きの猛練習 弱小野球部の悲哀…強豪校に「ほとんど断られた」
田尾安志氏が所属の大阪・泉尾高で1年夏に大敗も…徐々にレベルアップ
屈辱がバネになった。中日などで活躍した元外野手の田尾安志氏(野球評論家)は1969年に大阪府立泉尾(いずお)高校に進学したが、野球部のレベルはかなり低かった。「強いチームには練習試合を申し込んでもほとんど断られた」という。それが弱小チームの現実だったが、田尾氏には逆にエネルギーになった。「強豪校とは公式戦では当たる可能性がある。その時に勝てるようなチームにしたい」。明確な目標ができた。 【動画】うなり上げる剛速球は163キロ! 17歳高校生の衝撃の投球 2年生2人、3年生3人の泉尾高野球部に、田尾氏ら1年生は20人加わった。「すぐに半分はやめたけど、10人は残った。全部で15人のチームになった」。もっとも1年生10人のうち、半分は中学時代に野球をやっていない初心者みたいなもの。人数が足りただけで、実力は伴っていなかった。1年夏は1回戦で上宮に0-17で大敗。「あの頃の上宮はそんなに強いって言われるほどのチームではなかったんですけどね」。 その試合には田尾氏もリリーフでマウンドに上がったが「前にボールが飛ぶと、ほとんどヒットになってしまうような、そういう守備だったんでね」。自身の制球難も重なり、どうにもならなかった。だが、泉尾野球部の面々はここからレベルアップしていく。「エラーした選手が『ちょっとノックを受ける』とか言って200本ノックを受けるとか、みんな自主的にやるようになった。練習は自分たちでやっているような感じで青春ドラマみたいなチームでしたね」。 1年秋からエースになった田尾氏も必死に取り組んだ。「僕はいつも朝練をやっていました。練習が終わって家に帰ると風呂に入って、飯食って、すぐ寝るんです。そして夜中の2時頃に起きて勉強して、6時すぎには家を出て、早めに学校に行って自分で練習していました」。2年生の時には刺激を受けたアンダースロー右腕もいた。「ひとつ上の此花商の金城(基康=元広島、南海、巨人)さん。あの人とはよく試合をしたんですよ」。