「あれを見て、プロではやっていかれへんと…」あの星稜・奥川恭伸を倒して日本一…履正社“伝説の主将”にプロを諦めさせた「衝撃の強肩」の持ち主
「奥川君を打てないと全国では勝てない」
ただ、落ち込む以前に開き直る自分もいた。 「なんかもう、しゃあないなっていうのと、このままじゃダメだという思いが入り混じっていました。でも奥川君を打てないと全国では勝てないことははっきりしました」 夏の大会を前に、多田晃コーチ(現履正社監督)からある提案をされたという。 「チームでスローガンを決めろって言われたんです。みんなで考えて、“日本一”にしようって一旦提出したら“日本一は普通すぎる”って却下されたんです。それで、もう一度考え直したのが“圧倒的日本一”でした」 結果的に、迎えた夏の甲子園はまさに“圧倒的”な結果を残すことになる。 初戦で霞ヶ浦の最速150キロ右腕・鈴木寛人、2回戦では津田学園で140キロ後半のストレートを武器にしていた前佑囲斗(現オリックス)、準決勝では明石商の中森俊介(現ロッテ)ら後にプロで活躍する好投手たちを打ち崩し、決勝ではセンバツで苦杯を舐めた星稜の奥川から11安打を放って5-3で快勝。まさに漫画のようなサクセスストーリーだった。 「それだけ春の奥川君が衝撃的だったんです。センバツで負けてから“打倒星稜”というか、夏こそはという意識が強くなったのはありました。キャプテンでしたし、自分がやらないとアカン、みたいなものはありました。今になってもこれまで対戦したピッチャーで誰が一番すごかったかって聞かれたら、奥川君って言いますね。奥川君と対戦して本当にチームが成長できた、と思えました」 同校初となる夏の甲子園での全国制覇。その主将でもある。それだけの結果を残せば、もちろんプロ側からの評価も低くなかった。 「もちろん、プロに行きたいというのは頭の片隅にはあったんです。当時、自分は大学に行くことは考えていなくて。上に兄が2人いて、2人とも大学に行ったので、親に負担をかけたくないというのがありました。そうなるとプロか社会人か……となって」
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