“過去の気持ち”を忘れてしまう私たち 陸上自衛隊第32連隊の旧ツイッター「大東亜戦争」
アジア解放の戦いが「大東亜戦争」で、和(日)・朝・満・蒙・漢(支)の五族がともに手を携えて西欧の植民地主義から守ろう、という考え方でした。 でも実際は「遅れた植民地主義国」として日本が他の国々に対しての支配を強めていく過程だったことが、後から分かってきました。残虐な行為もそういう中から行われたのだと思いますが、建前は「五族協和」だったわけです。 「大東亜戦争」という言葉には、当時の日本民族が持っていたアジアの優越感や、引き起こされた大きな被害が隠されています。これを旧日本軍の後継者である自衛隊が平然と使ったということに対して、批判を受けているのです。 ■「時が経つ」とは怖いこと ところが、使った人は「なぜ使わなくなったのか」ということをわかっていないと思うんですよ。そこが、旧校歌を高校の後輩たちが普通に歌っていたシーンと重なりました。 母校にはほかにも「生徒会の歌」(作曲・陸軍戸山学校軍楽隊)という歌があります。3番の歌詞は戦後に変わっています。 群馬県立高崎高校 生徒会の歌 (3番) 手をとり歩む健児らよ 豊けき個性(さが)を傾けて 永遠の平和を唱うべき 真理の道を究めなむ 戦前に歌われていた「旧3番」の歌詞を、私は高校時代に見て覚えています。 群馬県立高崎中学校 校友会歌 (旧3番) 護国の宮の 宮近く 武を練り文に励みつつ いざや日本精神を 奮い起こさん もろ共に 高校生の僕は、「いざや日本精神を奮い起こさん」という時代に生きていたら嫌だな、と思っていました。 ■放送後に寄せられたメッセージ こういうことが、時間が経つと忘れられていって、今回の陸自連隊の投稿のようなことが起こるんだろうという気がしました。「時が経つ」とは、怖いことです。古いことに愛着を持ったり、郷愁を感じたりするのはいいのですが、「大東亜戦争」には多くの人が死んでいった事実が背景にあるので、日本政府は公式には使っていません。ここはちゃんと覚えておいてほしいと思いました。