“過去の気持ち”を忘れてしまう私たち 陸上自衛隊第32連隊の旧ツイッター「大東亜戦争」
群馬県立高崎中学校 校歌 (陸軍戸山学校軍楽隊・作曲) (3番) いよよ励みて 健児等よ 倭雄心(やまとおごころ) 振り起し 君と親とに 尽くすべき 誠の道を 窮めなむ 「君」は天皇ですね。大変な戦争の被害があり、軍国主義に対する痛烈な反省があって、「二度と戦争を起こしてはいけない」「平和国家であるべきだ」という国民意識が圧倒的に多くなった時代、「この校歌はふさわしくない」となったのです。 この旧校歌を現役の高校生が歌ったことに驚いてしまいました。スタンドの応援部は、私たちと同じ格好をしていました。高下駄を履いて学帽をかぶって、いわゆる「バンカラ」です。 古いことに対する価値、伝統校ならではの誇りみたいな、ちょっと思い上がったところが僕にはあったので、よく気持ちはわかります。「懐古趣味」と言ってもいいでしょう。しかし「先人たちがなぜ旧校歌を歌わなくなったのか」ということに対する知識は、後輩にはないのでしょう。 ■“大東亜戦争”という言葉をなぜ使わないのか けさの西日本新聞に出ていたのは、『陸自連隊Xに「大東亜戦争」投稿3日後削除』という記事です。 陸自第32普通科連隊公式Xに「大東亜戦争」と投稿 「不適切な表現」3日後に削除(西日本新聞me) 陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が、活動内容などを紹介する公式X(旧ツイッター)で、「大東亜戦争」という言葉を使って、こんな投稿をしていました。 「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島において開催された日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式に参加しました」 「大東亜戦争」という言葉は、「太平洋戦争に対する当時の日本指導者層による呼称」と言われています。 私たち世代ももちろんこの言葉は知っています。私たちが大学生のころ、昭和の終わりから平成の始めに「大東亜戦争」を使う人たちは、一部の右翼で普通の人ではないという感じでした。そこには戦争に対する無反省があって、ほかにも「八紘一宇」「五族協和」「靖国神社」「教育勅語」…こんな言葉を使う人を、僕らの世代は「気持ちが悪い」と思って避けていました。