父・力道山は「誇り」生誕100年で次男・百田光雄が感慨「鋭い眼光」今も脳裏に 自身はがん闘病中
日本プロレス界の祖である力道山(享年39)が14日、生誕100年を迎えた。墓がある東京・大田区の池上本門寺で「生誕100年 感謝の集い」が開かれ、次男の百田光雄、孫の力、小橋建太氏らが出席した。 【写真】力道山像の前でポーズを取る次男・百田と小橋建太 百田は自身も体調面に不安を抱えていることに触れつつ「今日どうにか、生誕100年を迎えられたことは、息子の僕としてもありがたいと思うし、父も100年たってもこれだけの方に見守られているというのは本当にありがたいことだと思う」とあいさつし、出席者に感謝。催しの形で父を弔うのは今回が最後との意向を示した。 「(戦後の)あの時代で、日本のプロレスファンを喜ばせたというのはなんとも言えない誇りでもありますしね。息子の僕とすれば。それから61年もたったのかと思うと感慨深いですよね」としみじみと語った百田。「鋭い眼光で相手をにらみつけている、そういう力強さが一番頭に残ってますよね。やっぱりやさしい顔ってのは少ないかな」とレスラーとしての力道山を懐かしんだが、父親としても「厳しいなんてもんじゃない」と苦笑する。ただ、「そういう教育を受けたからこそこの年まで(自身が患っている)がんとも戦えてるのかなと思います」とも語った。 百田は2021年に肺がんを患い、闘病を続けている。2024年に入り、新型コロナウイルス感染症にかかったといい、その後に心臓疾患で入院したことも明かした。 そうした経緯から8月24日の大会「川崎伝説」に出場予定だったが欠場した。「できればもう一回だけリングに戻ってみたいなという気持ちはあったのでね。だけど、このあとできるかできないかは別で」とした上で、「自分のやる気にもなるし、元気の源にもなるので。練習して頑張りたいなとは思いますけど」と、前を向いた。 力道山は1924年11月14日生まれ。大相撲からプロレスに転じ、戦後の日本を勇気づけるヒーローとして活躍。アントニオ猪木、ジャイアント馬場(以上敬称略)といった後のスターレスラーも育てたが、1963年12月8日にナイトクラブで刺されたことがきっかけとなり、1週間後の15日に死去した。