『シビル・ウォー アメリカ最後の日』暴走する権力に向けた抵抗の物語
暴走する権力に向けた抵抗の物語
キルステン・ダンスト扮するベテラン報道カメラマンのリーは、物語が始まった時点で、自分が心血を注いできた仕事に疑問を抱いている。戦場や紛争の渦中に分け入り、トラウマ覚悟で悲惨な現実にカメラを向け続けてきたのは「警告しているつもりだった」とリーは言う。写真を通じて「こうなってはいけない未来像」を提示しているはずだったのに、アメリカで内戦が勃発してしまい、リーは無力感に苛まれる。 対照的に、23歳の新人フォトグラファーであるジェシー(ケイリー・スピーニー)には、まだそこまでの職業意識は育っていない。ただ危険に身をさらして力のある写真をものにする興奮に背中を押され、ジェシーはどんどん大胆に、無鉄砲になっていく。 疲弊していくリーからジェシーへの精神的な継承が進む中、クライマックスの土壇場では、リーが息を吹き返したようにホワイトハウスへと皆を先導する。なぜリーは最後の最後になって自らを奮い立たせることができたのか? もはや地に堕ちた大統領をそこまでして追いかける原動力はなんだったのか? 答えはハッキリと描かれてはいないし、ガーランド監督が本作を通じて議論が生まれることを望んでいるように、観客それぞれが受け取り、対話することで見えてくるものもあるだろう。しかし、リーが自国の崩壊を憂いていたことは間違いなく、ひとたび国家の原理原則が失われると、もとに戻すことはもはや不可能に近い。その不可逆性を提示したガーランドには、リーと同じように世界に警鐘を鳴らす意図があったはずだ。『シビル・ウォー』の語り口はときに不遜なくらいドライだが、やはりこの映画は古典的な「抵抗の物語」でもあるのだと、筆者は強く感じている。 文: 村山章 1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。 『シビル・ウォー アメリカ最後の日』 大ヒット上映中 ⓒ2023 Miller Avenue Rights LLC; IPR.VC Fund II KY. All Rights Reserved.
村山章