「レース中は不眠不休、山賊や猛獣の恐怖に苛まれ…」 57歳の「鬼軍曹」が挑む、“世界一過酷なレース”の中身…「出場者は全員クレイジー」
田中さんはこのアドベンチャーレースの日本における第一人者である。178センチ、63キロ、体脂肪10%。還暦間近でありながら一線級のアスリートで、妥協なき厳しさゆえに「鬼軍曹」の異名を持つ。彼のアドベンチャーレーサー人生を取材した。 ■協調性のなさがネックに 自己中心的、自己主張が強い、協調性ゼロ。子どものころから田中さんはそんな性格だった。同級生との衝突は当たり前で、取っ組み合いに発展するのも日常茶飯事だった。クラス全員を敵に回したこともあったが、どこ吹く風。人からどう思われようとまったく気にならない、鋼のメンタルの持ち主である。
中学卒業後は高等専門学校(高専)に進み、友人に誘われてオリエンテーリング同好会に入部した。オリエンテーリングとは、山の中で地図とコンパスを頼りに、チェックポイントを通過してゴールを目指すというもの。宝さがしゲームみたいで面白そう、という軽い気持ちで始めたが、徐々にどっぷりハマっていった。 「走るだけじゃなくて頭も使うんです。走るのが早くてもコースを間違えるとタイムロスになるので、ゆっくり正確に走ったほうが早かったりします。走力や体力だけでは勝負がつかないところが奥深くて面白いなと」
高専を卒業後、化学会社に就職して研究職をしながらも、オリエンテーリングは続けていった。1993年、大規模なトレイルランニング大会で優勝。そのことがスポーツ新聞に掲載され、田中さんの運命を変えることになった。イベントプロデューサーから連絡があり、ボルネオ島で開催されるアドベンチャーレースに、タレントの間寛平さんと出場しないか、と打診されたのだ。 未知の冒険レースへのチャレンジに胸が高鳴ったが、気がかりだったのが、チーム競技という点。ひとりで自由に動けるオリエンテーリングと違い、アドベンチャーレースは前述の通り、チームで挑まなければならないからだ。協調性のない自分に務まるだろうかと迷ったが、それでも興味のほうが勝り、出場を決めた。