「説明を重ねるほどどこか他人事に…」映画『ぼくのお日さま』奥山大史監督が作品に残した“余白”
若葉竜也が演じた五十嵐という役柄
――五十嵐は軽薄そうな雰囲気を持ちつつ、親の意志を継ごうとする部分もある魅力的なキャラクターですね。若葉さんにとって、五十嵐はどんな人物ですか? 若葉 五十嵐は、この映画の登場人物達とは対照的に、流ちょうに言葉を重ねられる人物像なんです。それが故に、本質的なことが伝わらない瞬間もあるんじゃないか。思ってもないことを言ってしまうんじゃないか、と考えました。 しゃべれるから伝わる訳じゃない。しゃべれないから伝わらない訳じゃない。人間はもっと複雑な生き物だと思います。なので五十嵐はしゃべれてしまうからこその苦悩をもった人だという想像をしました。 奥山 五十嵐の髪って、光に当たると赤くなりますよね。そういうところも若葉さんが考えてくださいました。五十嵐という役と真っ直ぐ向き合ってくださったからこそ出てきた表現だなと感じました。 若葉 そうでしたね。最初は時代がわからなくなるような、すごく明るい茶髪にしようと思ったんですけれど、染めてみるとちょっと違う気がして。「こんな色はどうですか」と監督に連絡しながら、あの色に落ち着きました。
子役には台本を渡さずに演出を
――奥山監督は子役に台本を渡さずに撮影する演出方法を取っていますが、「何歳くらいから台本を渡す」という線引きはあるんですか? 奥山 年齢による区切りがあるわけではありません。そうした方がいい人と、しない方がいい人が役回り的にもいる気がしています。例えば、タクヤの友人・コウセイ役を演じた潤浩くんは、タクヤを演じた越山敬達くんより年齢が低いけど台本を渡していました。潤浩くんは台本を持っていたからこそ、越山くんのお芝居を見事に引き出してくれました。 さくらを演じた中西希亜良さんには台本を渡さないだけでなく、なるべく説明もしないで撮影しました。例えば、中西さん演じるさくらが、コーチの荒川と、その恋人・五十嵐が乗る車を見かけるシーンがあるんですけど、そこも何も説明せずに撮影しました。 ――それは本人の中で想像してほしいからですか? 奥山 それもありますし、極論になりますが、演じる本人はわからなくてもいいかなと思っているんです。例えば、その時のさくらの気持ちを説明しようとすると、「私じゃない人と一緒にいるのが嫌だ」「自分が助手席に座っていたのに」といったさくらの心の声を伝えることになるのですが、そうすると、どうしたって、その心の声を表現しようとするじゃないですか。それもまた余白を潰してしまう要素の1つになる気がするんです。 いっそのこと、何もわからずぼーっと見つめている顔の方が、「彼女は一体何を考えているんだろう」って映画を観る人が考えるきっかけになると思うんです。