松本明子、ヒデちゃんと深い絆!一生をかけての恩返し
“バラドル”というジャンルを切り開き、一歩一歩を積み重ね、道を作ってきた松本明子さん(49)。山あり谷ありの芸能人生で恩人に挙げたのは、30年以上の付き合いになる中山秀征さんでした。人気番組「DAISUKI!」(1991年~2000年、日本テレビ系)でも息の合ったところを見せていましたが、2人を結び付けているのはさらに深い絆。「私が死ぬまでいい仕事をして、それを見てもらう。それが一生かけての恩返しです」と言葉に力を込めました。
私が17歳。中山さんが16歳。出会いは、30年以上も前になるんですよね。そりゃね、歳もとるはずです…(笑)。 厳密に言うと、私が年齢も芸歴も先輩ではあるんですけど、デビューしてからずっと中山さんがいい背中を、追いかけたい背中を見せてくれてるんです。それが、私がここまでやってこられた原動力だと思っています。 私が仕事を始めた頃、当時の渡辺プロのタレント寮が東京・国立にありまして、地方から出てきて事務所に所属した人は、まずそこに入るんです。 1年ほどのレッスンを経て、私がデビューした1983年、中山さんが入寮してきたんです。今でも忘れません。マジソンバッグ1つ持って、レッグウォーマーにペイズリー柄のバンダナ。時代を感じますよね(笑)。 私としたら、初めて後輩ができるというのが、とにかくうれしくて、うれしくて。私はおそらくお風呂上がりだったと思うんですけど、この上なく生活感のある姿で駆けつけた(笑)私に「本日から寮に入ることになりました、群馬出身の中山秀征です!!」とあいさつをしてくれました。第一印象は、そりゃもう、メチャメチャかわいかったです。背丈も私と変わらなくて、160センチあるなしで、みんなから“チビ”と呼ばれてました。 それとね、何と言うのか、人を引き寄せる華みたいなものが当時からあったんですよね。みんなが中山さんの取り合いになるんです。中山さんの周りには、常に笑い声があると言いますか、中山さんのマネジャー陣も週末になると寮に泊まりに来るんです。やれ、ネタ打ち合わせだ、レッスンだと理由をつけて。それくらい、人を引き付ける魅力がありました。 何と言っても、中山さんも私も若かったですからね。毎日が修学旅行みたいでした。夜もずっとしゃべってましたね。毎日寝る間も惜しんで(笑)。