香取慎吾の持つ“影”が浮かび上がる…『日本一の最低男』が見せる疑似家族ドラマの進化
香取慎吾主演のドラマ『日本一の最低男 ※私の家族はニセモノだった』(フジテレビ系、毎週木曜22:00~ ※FODで見逃し配信)が、きょう9日にスタートする。 【写真】子どもをおんぶして走る香取慎吾ほか(場面写真12枚) 今作は、ある不祥事で退社に追い込まれてしまった元報道番組のプロデューサーが、再起を図るため政治家を目指し、その戦略として亡くなった妹の子どもを引き取り、ニセモノの家族=“ホームドラマ”を演じることを決意する…という物語。 幼い子供をきっかけにした“疑似家族”をテーマにした物語は、テレビドラマの一つの潮流と言っていいだろう。その中にあって、どんな進化を見せているのか――。
■“邪念”が入ることでベタに陥らない 昨年放送の作品の中でも、『海のはじまり』(フジテレビ)や『西園寺さんは家事をしない』『ライオンの隠れ家』(ともにTBS)などは、直接的な血のつながりの違いはあるが、主人公やその周辺人物たちが本来意図していなかった家族から“本当の家族”になっていく様を描くという“疑似家族”をテーマにしており、いずれの作品も視聴者の琴線に触れる佳作に仕上がっていた。 それは、「家族=血のつながりこそが最も尊い」とされていたかつてから、「家族ではない=血のつながりはなくても家族になれるのではないか」という近年の意識の変化や、“ダイバーシティ(様々な境遇の人たちが共存できる社会)”を標榜する上で、“家族”というモチーフが誰にも共感を得やすいからだろう。 しかし、これまでの“疑似家族”モノと比較して明らかに異なるのは、“責任”や“癒やし”、はたまた“第三者の意図”によって“疑似家族”がスタートするのではなく、今作は政治家になるため(生活者目線を発信したい)という自らの“目論見”であるということだ。 これまでと同様、急に家族が増えることに対する登場人物たちの戸惑いは描かれるのだが、そこには主人公の目論見という“邪念”が入る。それにより、今まで何度も見たことがある“ベタ”なはずの展開にも新しい視点が加わることとなる。 その“邪念”こそが今作をコメディーとして成立させるためのスパイスになっている。王道の感動シーンでホロっとさせられそうになった次の瞬間、“邪念”が入ることでドラマ全体を“ベタ”に陥らせない、楽しさと深み、苦みのバランスが絶妙に保たれているのだ。