静岡・沼津の駅弁には、なぜ「桃色」の紐がかけられているのか?
●元・鉄砲隊の番頭役、塩谷氏に救われた桃中軒
―構内営業参入から5年ほどでトップを失うことになって、大変だったでしょうね。 宇野:急きょ三千三の妻が2代目となり、江戸時代から鉄砲隊として三千三に仕えていた塩谷家の者が番頭役として店を切り盛りしていくことになりました。塩谷は全国の血縁関係を辿って奔走し、後継者にふさわしい人物を呼び寄せることとなり、大阪出身の秀吉(ひできち)が養子として宇野家に入りました。秀吉は大学在学中に塩谷が見込んだ桃中軒勤務の女性と結婚して、明治44(1911)年、桃中軒3代目の当主になりました。 ―3代目当主の宇野秀吉・初代社長(注)は、のちに昭和の戦後になって、日本鉄道構内営業中央会(中央会)初代会長も務められた方ですよね? 宇野:大阪出身ということもあって、商才のある人物だったのだと思います。実際、秀吉の時代に「お好み弁当(現・御弁当、幕の内弁当)」や「鯛めし」など、いまも続いている駅弁を開発しています。また、沼津駅の近くにある弊社の敷地内には、大阪の玉造稲荷神社から分祀したお稲荷様を祀っています(一般の方の参拝は不可)。その意味では、弊社はとても恵まれていたところもあると思いますね。 (注)桃中軒は、昭和5(1930)年に個人商店から法人化され、3代目の宇野秀吉当主が初代社長に就任した。
桃中軒の幕の内弁当は、いまも昔ながらの「御弁当」(930円)と書かれた掛け紙と共に販売されています。描かれているのは、大きな富士山と逆さ富士、そして沼津を代表する景勝地・千本松原の松。そして紐の色は、もちろん桃中軒の屋号にちなんだ「桃色」です。「ゆづりあい 旅を楽しく 明るい車内」と車内マナーを呼びかける標語がいまも記されている背景には、志半ばで亡くなった初代・宇野三千三氏への思いもあるのでしょう。
【おしながき】 ・白飯 梅干し ごま ・鯖の塩焼き ・蒲鉾 ・玉子焼き ・鶏の唐揚げ ・白身魚のフライ ・箱根山麓豚の旨煮 ・筍の旨煮 ・桜漬け ・割干し漬け ・わさび漬け