柴田勲さん、赤い手袋でモテモテ 小指のロマンス
巨人球団創設90周年記念の連続インタビュー「G九十年かく語りき」の第5回は、主に1番打者としてV9に大きく貢献した柴田勲さん(80)の登場だ。日本初の本格的なスイッチヒッターは、代名詞とも言える赤い手袋とともに、縦横無尽にグラウンドを駆け巡った。時代の先駆者だった柴田さんが振り返る「喜怒哀楽」とは―。(取材・構成=湯浅 佳典、太田 倫) 赤い手袋で人気も出て、女性には確かにモテました。まあ、ちゃんと自分の金で飲んでいたから。僕じゃなくて、お金がモテたんだよ。 20代半ばに交際していた歌手の伊東ゆかりさん【注3】とは、本当に結婚するつもりだった。相手のお父さんにもあいさつに行ったんだけど、猛反対されてね。「柴田君とウチのゆかりでは格が違うよ」なんて言われて、カーッときてね。ただ、彼女も人気の絶頂期で、いろんな事情があったんだろう。僕にも配慮が足りなかったところがあったし、もっと話し合えばいい解決方法があったのかもしれない。 週刊誌でも騒がれたから、球場でも伊東さんのヒット曲「小指の想い出」の歌詞にひっかけて、「柴田がかんだ小指が痛い」なんてヤジを飛ばされた。うまいこと言うなってクスクス笑いながら打席に入ってたよ。結婚はかなわなかったけど、今でも会うことはあります。楽しい思い出ですよ。 嫌なことも、つらいこともあったけど、野球を苦しいと思ったことは一度もない。プレッシャーを感じたこともあまりない。練習だって、当たり前のことを当たり前にやってきただけ。そりゃ、人並みには一生懸命やったよ。でなきゃ、甲子園で2度も優勝して、巨人でレギュラーを張って、盗塁王に何度もなって、2000本もヒットを打って…なんてことはできません。 でもしょせん、野球はスポーツ。苦労してやるもんじゃないよ。楽しく、易しく、のびのびとやるもの。そういえば最近、高田と対談した時、「柴田さんとはライバルだから、口も聞きたくなかった」と言うから驚いてね。誰それをライバルという感性はなかったから。 飲みに行こうと思ったら行く、女の子に会いに行きたいときは行く、好きな時間に寝て、起きる…。僕は自由人なんですよ。 【注3】1960~70年代のトップアイドル。69年には紅白歌合戦の紅組司会も務めた。「小指の想い出」の本来の歌詞は「あなたがかんだ 小指が痛い」。 ◆柴田 勲(しばた・いさお)1944年2月8日、横浜市生まれ。80歳。法政二時代、エース兼主力打者として60年夏、61年春の甲子園で連続優勝し、62年に巨人入り。この年6試合で0勝2敗に終わり、翌年から外野手に転向。俊足の1番打者として盗塁王を6度獲得。通算2208試合に出場。2018安打、708打点、194本塁打。打率・267。通算盗塁数579個は現在もセ・リーグ記録。
報知新聞社