[懐かしの名車旧車] 「昔のトライク⁉︎」時代を駆け抜けたマツダ オート三輪ヒストリー「今なら注目度ナンバーワン」
マツダの独創的な技術の原点は、1967年に量産市販化されたロータリーエンジンがその象徴として語られることが多いが、真の原点は、マツダが初めて生産した自動車=オート三輪にあるのではないだろうか。ここではマツダ(当時は東洋工業)製オート三輪の誕生から衰退までの歴史を追ってみよう。 →【画像】時代を駆け抜けたマツダ オート三輪ヒストリー
自動車での物流に先駆け、安価なオート三輪を開発
────────── マツダの自動車製造の第一歩 ────────── 1920 年(大正9年)、中国地方の山間部で自生していたブナ科の落葉樹「アベマキ」を使用したコルクを製造するメーカーとして、広島市で創業を開始した東洋コルク工業。当時コルクは、造船材料などに使用され、会社は成長した。1927年(昭和2年)には、機械工業へと事業転換して社名を「東洋工業」へと変更し、オートバイの開発を開始。そこから発展して誕生したのがオート三輪だった。 1031年(昭和6年)に最初のモデル「DA型」が完成。当時の社長である松田重次郎の名とゾロアスター教の最高神・アフラマスダーから「マツダ号」と名付けられた。 ◆DA型【マツダ号】(1931年):東洋工業の自動車第1号となるDA型マツダ号は、4サイクル空冷単気筒の482cc SVエンジンを搭載。最高出力は9.4ps。全長2770mm×全幅1170mm×全高1100mmのボディには大型の荷台が装着され、最大積載量は200kg 。当時のオート三輪はオートバイをベースにしていたため、ドライバーはエンジンの上に跨り、バーハンドルを操作していた。販売は三菱商事に委託していたため、タンクには三菱商事の社章だったスリーダイヤモンドのマークが付いている。1931年10月の発売から翌年末までに412台を生産。1933年にはDA型のフレームを二重に強化したDB型を発売。この年のマツダはオート三輪の国内シェア約25%にまで成長していた。1934年にはエンジンの排気量を485ccにアップしたDC型を発売した。出力アップとフレームの強化により、最大積載量はDA型の2倍となる400kgになり、乗車定員も2名となっている。