注目は大谷翔平vsジャッジだけでない「1950年代に元祖地下鉄シリーズ」「21世紀の対戦成績は?」ドジャースvsヤンキースの名門ライバル80年史
ワールドシリーズは、ナショナル・リーグの勝者、ロサンゼルス・ドジャースとアメリカン・リーグの勝者、ニューヨーク・ヤンキースの対戦となった。 【写真】「ショウヘイ…デコピンかわいいね」エドマンがニコニコ急接近!由伸には“ムキムキすぎ腕”でシャンパンぶっかけ…愛される大谷翔平や「こんなの見たことない!」ドジャースvsヤンキース宿敵80年レア写真を全部見る 東海岸と西海岸を代表する人気チームの顔合わせ、東西横綱の対戦と言っても良いだろう。本稿ではドジャースとヤンキースの「ライバル史」を紐解きたい。
そもそもドジャースとヤンキースの成り立ちって?
ロサンゼルス・ドジャースは1883年、ニューヨークのブルックリン地区に生まれた。創設時はアメリカン・アソシエーションに所属していたが、1890年にナショナル・リーグに加入、以後、MLBでも屈指の老舗として歴史を刻んできた。 もとはブルックリン・スーパーバスなどのニックネームだったが、1911年、ブルックリン・ドジャースになる。これはこの地区の住人が路面電車をうまくよけながら通行することから「ドジャー(ドッジボールのドッジである)」と呼ばれたことにちなむ。ただ1914~31年まではブルックリン・ロビンスを名乗っていた。 これに対してニューヨーク・ヤンキースは1901年、MLBがアメリカン・リーグとナショナル・リーグの2大リーグになったときに、ボルチモア・オリオールズとして発足した。今のオリオールズと直接の関係はない。 その後、1903年にニューヨークに移転し、ニューヨーク・ハイランダーズとなった。そして地元ファンがこのチームを「ヤンキース」と呼ぶようになり、1913年にニューヨーク・ヤンキースになった。 同じニューヨークを本拠としながら、リーグを異にするため両者の対戦は永らくなかった。インターリーグがなかった時代、リーグをまたいだ真剣勝負は「ワールドシリーズ」しかなかったからである。ヤンキースはベーブ・ルースがボストン・レッドソックスから移籍した後の1921年以降に最強チームになったが、ドジャース(1920年代はロビンス)は、1916年と20年はリーグ優勝したもののワールドシリーズではボストン・レッドソックスとクリーブランド・インディアンスに敗れ、以後、21年間も優勝できなかった。
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