上野じゃない“元祖常磐線”を歩く
常磐貨物線の直線はしばらく続き、田端の手前で東北線の高架をくぐる辺りから緩やかなカーブになる。そのカーブを陸橋から見下ろすと、線路の数が“6車線”に膨らんでいた。かつての貨物列車全盛期には、さぞかし多くの列車が休憩し、通過していたのだろう。常磐貨物線の奥には東北新幹線が見えた。この先は、以前紹介した貨物操車場跡の田端信号場へと線路が続く。旅客線の痕跡は見つからなかったが、小さな発見や驚きのある散歩だった。 常磐線の建設目的は、常磐炭田の石炭を横浜方面へ運ぶことだった。当時は秋葉原~東京が未開通だったためか、田端から池袋、新宿を経由して横浜へ抜けられるルートが選ばれた。上野発着の旅客列車は田端でスイッチバックしていたそうだ。やがて三河島~日暮里~上野の線路ができて、三河島と田端を結ぶ“元祖常磐線”は、旅客列車が走る“本線”から貨物専用線に変わった。今では、時たま走る臨時列車で常磐貨物線の車窓を楽しむことができる。
☆共同通信・寺尾敦史