文楽の人間国宝 嶋大夫が大阪最後の舞台で熱演
文楽の人間国宝、八代豊竹嶋大夫(83)の大阪での最後の舞台、初春文楽公演(大阪・国立文楽劇場)が26日、千穐楽を迎えた。20年以上もの間、切場語り(重要な場を語る最高資格)として文楽を支え、観客に浄瑠璃の魅力を伝え続けてきた名大夫の引退。文楽発祥の地、本場大阪での最後の語りを聴きたい、耳に残しておきたいと劇場には多くのファンが詰め掛けた。
満場の拍手「嶋大夫!」のかけ声も
盆が回り、嶋大夫が床に現れると満場の拍手。「嶋大夫!」のかけ声も続く。鳴り止まない拍手に思わず嶋大夫は目をうるませ、目頭を覆った。 引退狂言は、江戸時代に竹本座で初演された世話物の名作の一つ「関取千両幟~猪名川内より相撲場の段」。嶋大夫が語るのは相撲取り(猪名川)を夫に持つ妻、おとわ。贔屓を助けるため苦悩する夫のために自分の身を売る妻……。 おとわの人形を遣うのは人間国宝の吉田簑助、猪名川は吉田玉男。 女形の語りを得意とする嶋大夫、女形の人形遣い手としては当代一と言われる簑助、その二人が競演で、おとわの夫を思う心情や愛情そして最大の見せ所、クドキを情をこめて表現した。
泣いているお客さんが目に入ったんです
大夫として初めて舞台に立った大阪での最後の語りを終え、舞台上に現れた嶋大夫は、おとわ(簑助)から花束を贈られ、万感の思いで観客に一礼。 「泣いているお客さんが目に入ったんです。それで私ももらい泣きしてしまいました。(愛媛から)母と大阪に初めて来た16歳のときのことを思い出しました。つらい修行のことや師匠との稽古なども」としみじみと語った。 一昨年、竹本住大夫さんが引退し、昨年7月には竹本源大夫さんが死去。そしてまた一人、名大夫が舞台を去ることになった文楽。柱を失い、正念場となるが、先の4月に師匠の大名跡を襲名し核となり支えていく一人の玉男は「さみしいですね。世話物、女形の艶のある語り、きれいな声が印象に残っております。(嶋大夫)師匠が語ると舞台がぱーっと明るくなったんです。これでまた大夫さんが一人、しかもトップの人が引退されて、世代交代の中、みんなで力を合わせて頑張っていきたい。もちろん師匠にはこれからも若い人をみてほしいですし、刺激を与え続けていただきたいです」と、そう決意を述べた。 「浄瑠璃が大好きだった」という嶋大夫。大阪で生まれ育った文楽を愛する思いは、今後も変わらない。多くのファンに見送られ、「ありがとうございました」と、最後は笑顔で文楽劇場を後にした。 ■豊竹嶋大夫(とよたけしまたゆう)1932年3月7日、愛媛県生まれ。1948年、三代豊竹呂太夫(後の十代豊竹若大夫)に入門し、二代豊竹呂賀大夫と名のる。1968年に八代豊竹嶋大夫を襲名。1994年には「切場語り」(重要な場を語る大夫に与えられる最高の資格)となり、1995年に紫綬褒章、2008年に旭日小綬章。2015年には重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2015年10月21日、引退を正式に表明。2016年1月の大阪・国立文楽劇場、2月の東京・国立劇場公演をもって引退。