ヘイトクライム被害者は日本社会をどう見た? 差別を乗り越える「対話の力」
「自分は間違っているかもしれない」――対話を通じて自らを訂正し続ける
コリア国際学園に限らず、今の10代のトラブルの多くは、生徒同士のSNSでの拙いやり取りが発端になっていることが少なくない。SNSで何かを言われたとか、外されたと言ったことで、不登校やいじめが起こることがあるのだ。 こうした問題を予防するには、きちんとした思考や対話が欠かせない。太刀川誠を反面教師にするわけではないが、事件を通して国語力の大切さを考えさせることは十分可能だろう。李前校長は話す。 「私は中高生がうまく言葉を扱えなかったり、間違った情報を信じたりするのは今の時代にありえることだと思っています。コリア国際学園に通っている子ですら、きちんと差別や歴史を学んでいるのに、何かの拍子で相手に差別的な発言をしてしまうこともあるくらいですから。 だからこそ、私は中高生には対話の必要性を知ってもらいたいと思っていました。ちゃんと対話をすれば、自分の考えが古かったり、持っている情報が間違っていたりすることに気がつきます。 ならば、そこで更新して新しいものにすればいい。若い時に対話によってそれをする方法を身につけておけば、無駄に情報に踊らされたり、勘違いのまま突っ走ってしまったりすることはなくなるはずです」 大量の情報が氾濫する社会にあっては、一人がすべての情報について深い知識を持ったり、正しい情報だけを手に入れたりすることは困難だ。たとえば、在日のことに詳しくても、LGBTQにはそうではなく、つい間違った情報を鵜呑みにするとか、偏った意見を口にするといったことはあるだろう。 だからこそ、現代に生きる人たちは、そのことに自覚的でなければならない。自分の情報が間違っているかもしれないという認識を常に持ち、周囲との対話によってそれに気づいて更新していく力を養うべきなのだ。 もし対話の中で在日に関する認識が間違っているとわかれば、それを新しく正しいものに更新する。その努力とくり返しが必要なのだ。事務長の金氏も同様のことを語る。 「昔の差別は実体験が伴うものだったんです。日本人が在日の人が何かをしているのを見て差別意識を抱いたとか、親や友達から直接何かを聞いて偏見を持つようになるとかいったことです。 しかし、今は違う。ネットという仮想空間の中にある、誰が書いたかわからない文章に触れることで、簡単に差別感情を持って間違った行動に及んでしまう。 私が問題だと思うのは、今は誤った発言をしても、それを簡単に削除できてしまうことです。SNSでもメールでも、間違ったと思ったら削除してなかったことにできる。 でもこれは良くないと思うんです。人はしっかりと間違ったことを認めて、修正しなければなりません。修正できれば、成長できる。そのことをみんなが理解して、やっていかなければならないと思います」 間違えたことをなかったことにしてしまえば、反省もなければ学びもないので、再び平然と同じことをくり返すだろう。しかし、間違ったことを認め、自ら修正すれば、その人は成長することができる。 現代のIT化した社会では、ネットの粗雑な言葉から実体験を伴わない差別感情が簡単に生まれ、SNSなどを通して増幅していく傾向にある。そのような社会構造は当分変わらないだろう。 だからこそ、金氏も李前校長も、人々が若いうちから対話を重ね、自分の知識や言説を正しいものに更新・修正していく必要があると考えているのだ。多様な価値観が溢れるこの学校は、それをするための格好の場所ともいえる。 そのような能力を持った生徒たちが大人になった時、社会はどう変わるのだろうか。 差別や事件は起こらないに越したことはない。 だが、コリア国際学園の生徒たちが、今回の事件を通して、そのような力を養っていこうとしていることに一縷の希望を抱くのは私だけではないはずだ。
石井光太(作家)