ヘイトクライム被害者は日本社会をどう見た? 差別を乗り越える「対話の力」
事件当日、校長の脳裏によぎった「ヘイトクライム」の存在
事件当時、このコリア国際学園の校長だったのが、李相創氏だ。日本生まれの在日で、甲子園出場で知られている京都国際高校(前身は「京都韓国学校」)で33年間教員をした後に、2017年から6年にわたってコリア国際学園の校長を務めた。彼は学校の責任者であると同時に、事件の第一発見者でもあった。 4月5日、李前校長が出勤したのは午前7時過ぎだった。春休みの教職員の出勤時間は9時だったが、李前校長はいつも2時間ほど前にやってきて、各種ドアの開錠や建物の見回り、片付けなどを行っていた。 この日、李前校長が正門を開けて中に入ると、異臭が漂っているのに気がついた。正門を入ってまっすぐに進むと、自動販売機の正面に黒い燃え殻のようなものが見えた。 すぐに置いていた段ボールが燃えたのだと思った。まだ煙がくすぶっている。李前校長は慌てて消火し、即座に110番通報することにした。なぜ消防署でなく、警察署への通報だったのか。その理由を李前校長は語る。 「春休みに校舎の工事をしていたので、最初はその人の不始末かと思ったんです。でも、燃えた跡を見た時に、誰かが侵入してきて故意に火を点けたのではないかと察しました。 警察が到着するまでに考えていたのは、もし放火だった場合にどのように生徒や保護者に説明すべきかということです。ヘイトスピーチとの関連性も疑いましたが、まだ真実がわかっていなかったので、うかつなことは言えません。かといって、黙っているわけにもいかない。大事になるのではないかという予感がありました」 李前校長がすぐにヘイトスピーチとの関係を疑ったのは、コリア国際学園が長らくその問題に悩まされてきたからだ。この土地に学園を開校することが決まった時から、一部の住人たちによって反対の声を挙げられていた。建設予定地の前でバリケードや座り込みが行われ、妨害活動が行われたのだ。 このせいで工期は半年ほど遅れ、第一期生は韓国や鶴橋の仮校舎で一学期の授業を受けなければならなくなっていた。事務長の金玉伊氏は次のように話す。 「本校への嫌がらせはいろんな形でありました。開校した後も、投石されて窓ガラスを割られたり、壁に塗料のスプレーで『コリア』などと書かれたりしました。 最近でも、日韓や日朝の関係が悪化した時に、うちの学校に対して誹謗中傷の電話などが来ることがあります。電話に出たら、知らない人からいきなり『国に帰れ』『出ていけ』と怒鳴られたりするのです」 すでに述べたように、コリア国際学園は総連や民団の影響下にあるわけではないし、生徒も多様な民族が入り混じっている。そうしたことを調べることもなく、「コリア」と十把一絡げにしてこのような誹謗中傷を行う姿勢には、太刀川誠の言動と同様の国語力のなさゆえの短絡的な思考が垣間見られる。 何にせよ、そうした経緯があったからこそ、李前校長は事件が起きてすぐにヘイトスピーチとの関連性を疑ったのだ。そしてこの日、李前校長は教職員を一堂に集めて、次のように説明した。 「今、捜査を行っている警察からは、放火の可能性を告げられました。しかし、現時点では犯人はわかっていませんし、理由も明らかではありません。真実が明らかになるまで、憶測で何かを言うことは差し控えてください。生徒や保護者に対しては、捜査が進んでわかっただけを適時きちんと説明していくようにしましょう」 李前校長の念頭には、在特会らが起こした京都朝鮮学校襲撃事件のことがあった。あの事件を起こした人たちが絡んでいるかもしれないし、そうでなくても報道に触発されてああいう人たちが押し寄せてくるかもしれない。生徒の安全を守るためには、騒ぎを極力抑える必要があった。 それでも、事件発覚当初からマスコミはヘイトスピーチとの関係性を暗示するようなニュースを流したし、ネットでもそうした言説が飛び交った。李校長は警察と連携しながら火に油を注がぬように慎重な対応をつづけた。 警察が太刀川をこの事件のことで正式に逮捕したのは、2カ月後のことだった。取り調べの中で、太刀川が「韓国人の住所が書かれた名簿を盗み、韓国人を襲うつもりだった」という証言をしたことがマスコミに伝わったことで、事件とヘイトスピーチの関係性が報じられた。