ヘイトクライム被害者は日本社会をどう見た? 差別を乗り越える「対話の力」
学校の生徒たちはヘイトクライムをどう受け止めたのか
これまで静観をつづけていた学校は、報道を機に改めてこの問題に向き合わなければならなくなった。李前校長は話す。 「犯人が逮捕されてヘイトとの関係性がニュースになりました。これによって、うちの学校でも事実を直視して生徒間で対話をしていかなければならないだろいうという空気が生まれました。 高校生は普段から多文化共生について考える『多文化共生論』という授業を行っています。その授業の中で高校生たちを班ごとに分けて、この問題について話し合いをさせていくことにしたのです」 生徒たちはルーツも違えば、差別への意識も異なる。まずは、それぞれの立場から素直に事件についての意見を出させていった。 授業の中で出た意見は、生徒のルーツによっても違いがあった。在日の生徒たちの意見の中には、学校は差別に対してもっと厳しい態度をとるべきではないかというものもあった。不当な差別を受けて黙っていれば、そうした感情を助長することになるのではないかという気持ちがあったのかもしれない。 他方、日本人生徒は「怖かった」「びっくりした」という発言が多かった。自分たちが在日への差別意識を持っていなかったため、起きたことが信じられないといった反応だったのだろう。 留学生も、「日本にはこんなことがあるんですね」という驚きの言葉を口にしていた。李前校長は言う。 「全体的には、私が想像していたより生徒の間には『まさか自分たちが差別を受けるなんて』という感情が多かったように思います。私のような昭和の時代に在日として生きた人間には差別は当たり前のものでした。直につらい思いをしたことも数えきれません。 しかし、今の子は違います。韓流ブームの時代に生まれ育ち、物心ついたくらいの時からK-POPや韓流ドラマを当たり前のように見てきたし、日本人が夢中になっているのも知っている。 なので、頭では差別の歴史を学んで知っていても、まさか自分たちが当事者になるという意識がないので、本当にそんなことが起こるんだ、という驚きが先行していたように思います」 先述したように、この学校はK-POP・エンターテイメントコースを設けていることから、韓国で歌手デビューすることを目指して入学し、日々韓国語に英語にダンスにと必死になっている生徒が少なくない。彼らは韓国に憧れることはあっても、差別などゆめゆめ思っていない。 それだけ昭和の時代に在日として生まれた人たちと、現役の中高生の感覚はまったく異なるのだ。李前校長はつづけて語る。 「犯人が逮捕されて裁判がはじまると、今度は犯行の動機が明らかになっていきました。私も裁判に何度も出たのですが、犯人の在日への認識はあまりに偏ったものでした。 たとえば、『よそ様の国で勝手なことをするな』『日本から出ていけ』と主張するのに、かつて日本によって在日の人たちが労働力として強制的に連れてこられた歴史や、朝鮮戦争の後に南北が分断された歴史さえ知らない。本当にネットの誹謗中傷をそのまま信じてしまって、犯行に及んだだけなんです。これにはびっくりしました」 当初、授業ではきちんと在日差別の歴史を踏まえた上で、なぜ今も差別や偏見が残っているのか、それにどう向き合うべきか、さらには多文化共生を実現するにはいかにその問題を解消すればいいかを考えさせようとしていた。 しかし、太刀川の犯行は、その議論に耐えられないほど浅はかで粗雑だった。犯人が在日の概念をはき違え、勘違いと妄想で放火をしたのなら、対話のためのそもそもの前提が崩れてしまう。 実際に、生徒たちも事件の内容を知れば知るほど、受け止め方に困惑しているようだった。ここまで軽薄な大人が存在し、ニュースになるような事件を起こすということが理解しがたかったのだろう。李前校長は言う。 「生徒たちは犯人の犯行動機をうまく想像できないみたいでした。歴史認識もなく、在日の人と接したこともない中で、ネットの変な言葉だけ見て放火したと言われても、どう解釈していいかわからないのは当然です。 でも、それはそれで考えさせられることはたくさんあります。特に現在は、大量の情報が飛び交っており、そこで様々な誤解が生じてトラブルが起こることがよくあります。だからこそ、事件を超えたところで、情報を深く解釈すること、対話をすること、認識を改めることの重要性を考えるヒントになったのではないでしょうか」