なぜ『百年の孤独』はマジックリアリズムで書かれなければならなかったのか? 池澤夏樹と星野智幸が語る【第4回】
刊行後、途切れることなく読書界を賑わせ続けているガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』だが、刊行以来50年間、読破者がうなされたように語り続けるのはなぜなのか。本作に衝撃を受け、新聞社を辞めてガルシア=マルケスが執筆の本拠地としたメキシコ留学に旅立ってしまったという星野智幸さんと、日本で翻訳される前に英語で本作を読み、以来「追っかけ」のような読者になったという池澤夏樹さんが語り合った。 (全6回の第4回、構成・長瀬海) *** 星野 今回、10年以上ぶりに読み直して、意外と覚えていないことがあるなと思ったんです。第1章はほぼ完璧に記憶に残っていたんですが、第2章以降はあれ? そういう書き方だったのか、と気づかされた箇所が多くありました。特に印象に残った再発見は、現実の歴史をきちんと書いていることです。コロンビアの内戦やいわゆるバナナ大虐殺のこととか。ああいった歴史的なできごとが執拗なまでに書かれていて、それを小説のなかに写しとることがガルシア=マルケスの1つの動機だったんだなということを今回、強く感じました。 池澤 でも、それをダイレクトに書くと政治告発小説のようになって薄っぺらくなってしまう。だから、小説のなかに埋めて、刈り込んで、72個のおまるのエピソードなんかと同じサイズにする。それは単なる検閲逃れではなくて、彼本来の語り口がなせる技なんでしょう。自分の頭のなかに叩き込まれているコロンビアの歴史をそのまま書くのではなく、刺繍のように縫い込んで、大きなタペストリーに仕上げる。ちょっと離れてみるとその壮観な図柄が浮き出てくる。そういう手法を考えてから書いたのか、あるいは書いているうちに現実の歴史も入れてみたくなったのか。とにかくその工夫がすごい。 星野 短編に政治的な主題を扱っている作品はありますが、幻想的ではなくリアリズムに忠実な書き方になっていますよね。僕としてはああいった政治的なリアリズム小説よりも『百年の孤独』のような作品の方が好みです。きっとマルケスには、さっき言ったようなコロンビアの歴史的なできごとは、一般的なリアリズムというフォーマットでは小説にできないという思いがあったんだと思います。それらを自分で表現できたという確かな手応えを感じるためには、いろいろと試さなければならなかった。一族の個人的な歴史から大きな暴力の物語までいろいろと呼び込んでいって、最終的に全てのエピソードが同じレベルで延々と繋がる形式が生まれたんだと思います。 池澤 習作というか、いろんなことをやっていますよね。ジャーナリストとしてルポルタージュを書くことから始めて手探りで試行錯誤を重ね、最終的に『百年の孤独』のような方法を確立した。歴史的な事実や政府がしでかした悪行の数々、そして民話的な物語。それらをマジックリアリズムの手法で組み合わせて一つの小説に仕立てあげる技法を。 イサベル・アジェンデというチリの作家がいるでしょう。彼女の『精霊たちの家』は前半は『百年の孤独』と同じなんですよ。マコンドの物語のように次々と変なことが起こる。でも途中からだんだんリアリズムになって、最終的には彼女の身内であるサルバドール・アジェンデの政権が崩壊するクーデタが描かれる。そこは完全にリアリズムのポリティカル・スリラーになっています。アジェンデは、みんなにガルシア=マルケスの影響でしょ? って言われることに腹が立っていたみたいです。だけどあれ以外に書きようがなかったんだと思います。どうしたってああなってしまう。彼女だけじゃなくて、南米の作家はだいたいが『百年の孤独』を横目で見ながら書いた。そのなかで一番うまくいったのがイサベル・アジェンデだったんですよね。
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