「ワタミのサブウェイ」成功率は”かぎりなく低い”と言える残念な理由…美味しいのに「日本人にさっぱり流行らない」のはなぜなのか
閉店ラッシュを生んだ「ある出来事」
そもそも、サブウェイはなぜ日本市場での復活をワタミに委ねる形となったのか。 元々、日本サブウェイは1991年、サントリーホールディングスが子会社として設立したことから始まった。直営店とFC加盟店の両輪で国内展開を進め、前述の通り、2014年には一時的にピークを迎えている。 ただ、その後《あること》を境にサブウェイは閉店ラッシュに追い込まれることとなる。フードビジネスコンサルタントの永田雅乙氏が解説する。 「サブウェイにとってターニングポイントとなったのは2016年頃のことです。創業者が『海外展開により力を入れたい』として、本社がサントリーから株を買い戻し、マスターフランチャイズ契約の解消へと舵を切ったのです。 これを機にサントリーは日本サブウェイの経営から完全に撤退。そうして本社が直々に日本で展開を進めたのですが、予想以上に上手くいかず赤字まみれになってしまい、あえなく店舗数が激減してしまったわけです」 「今振り返れば、サントリーは我慢強くやっていたほうだ」と指摘する永田氏。そう考えると、再びマスターフランチャイズ契約を交わすパートナーとしては、旧友であるサントリーが相応しいようにも思えるが、その可能性はゼロだったという。 「佐治(敬三)さんがいた頃と違い、今の新浪(剛史)さん体制のサントリーは、外食事業としてプロントやまい泉があるぐらいで、あまり飲食に重きを置いていない印象です。『サブウェイはもうやりたくない』というのが本音でしょう」(永田氏) また、サブウェイ側にもある思惑があった。 サブウェイという巨大な帝国を築き上げた2人の共同創業者、フレッド・デルーカ氏が2015年に亡くなり、もう一人のピーター・バック氏も2021年に亡くなっている。この創業者の死去が、ワタミへの売却の追い風になったという。永田氏が続ける。 「創業者の遺族はサブウェイの経営に関心が無く、海外店舗の権利をできるだけ早くどこかに売りたがっていた。売却の焦点は『いかに高く売るか』。そんな時、サントリーと違ってゼロベースでロイヤリティの交渉ができ、しかも喉から手が出るほどファーストフード業態を欲しがっているワタミに白羽の矢が立ったのでしょう」