男性はなぜ強がってしまうのか?小説家・白岩玄さんと考える、福田フクスケの「やわらかジェンダー塾」
「強さの毛布」で弱さをくるんでコミュニケーションする男性
――友達のつくりやすさに性別は関係あるのでしょうか? お二人はどのように感じていますか? 白岩さん:友達作りの得手不得手は性格的な要素がとても大きいと思う一方で、育てられ方にも原因があるんじゃないかと感じますね。僕個人のことで言えば、男の子として育っていく中で「強がる」というコミュニケーション方法を覚えてしまったことが、人との関わり方に大きな影響を及ぼしていると思います。そこに男女差がどれくらいあるのかはっきりとはわかりませんが、自分が育った時代を振り返ると、男子のほうが強さを求められる機会が多かった、という印象は実感としてあるんですよね。 そして、強がりを覚えた結果どうなったかというと、自分の弱さをなかなか他人に見せられない人間になってしまった。これは悩みを相談しあえるような信頼できる友達をつくりづらい要因になっていると思います。 福田さん:育てられ方もそうですし、友人関係でもそうですよね。いじられる弱い男子より、いじる強い男子のほうが上だというコミュニケーションスタイルとか。 白岩さん:そうですね。僕が育ってきた時代は、男の子が弱いところを見せると、大人にたしなめられたり、友達に笑われたり……。本当は感じているはずのナイーブな感情を、ないことにしなければならなかった。そんな中でできる話といえば、バカ話やエロ話のような「自分は男性的な強さの中にいる」と錯覚できるような話ばかりで。 福田さん:そんな感じでしたね。ただ40代になった今は、ごく少数の居心地のよい友人たちの間だけですが、そのコミュニケーションスタイルは弱まってきていますね。 とはいっても、お互いの弱さについて具体的に話すかというと、それもない。例えば相手が精神的に落ち込んでいたり、休職をしたりするタイミングにも居合わせてはいるはずなのに。男のコミュニティの中では、相手の弱さを知った側は、それをあえて茶化して笑いにしてあげることがマナーで、それで「たいしたことじゃないよな」とスルーしてあげるのが優しさ、みたいな雰囲気もありますよね。 白岩さん:「強さの毛布」で弱さをくるんでしまうんですよね。弱さをむき出しのまま差し出すことも受け取ることもできないから、茶化したり軽く扱ったりするような形でやりとりをしてしまう。 福田さん:「強さの毛布」って表現は面白いですね。「強さ」というと盾や鎧をイメージしがちですが、そうではなく毛布。毛布はどちらかというと、強さではなく弱さのイメージがありますから。 白岩さん:そうですね。「ブランケット症候群」じゃないですけど、それがないと不安になるという「手放せなさ」も含めて毛布だという感じがします。でも、さっきの茶化して笑いにしてあげるというのもそうですけど、「強さの毛布」でくるむことは、自衛手段であるとともに、男性同士にとっては相手に対する配慮であったりもするんですよね。それでくるむことによって、気まずさが緩和されるだろうという「気遣い」として使われている部分があると思います。