ソースカツ丼の元祖論争、ルーツは東京・早稲田、そして遠くドイツに
人が話を聞いているのか、聞いていないのか、あまり気にしている様子もなく、龍川さんはおしゃべりをしながら、手際よく料理する。豚肉を切り、パン粉を広げて衣を付けて揚げる。そして、揚げたてのカツを同店特製のソースにどっぷりとくぐらせると、黄褐色のカツが茶褐色に染まった。 ヨーロッパ軒がそうであるように、ここは重要なポイントだ。福井市は、小学校給食のレシピとして「ソースカツ丼」の作り方をホームページで公開しているが、それを見ると、やはり「カツをソースにくぐらせて」と書いてある。揚げたカツにソースをかけるだけでは、子どもたちに伝えるべき「福井のソースカツ丼」は成立しない。 ソースカツをご飯に盛って出来上がり。特製ソースは、ウスターソースをベースに、とんかつソースや日本酒、ワインなどを隠し味として合わせた上品な香り。白米の代わりに五穀米、ロースの代わりにヒレ、揚げ油にはラードの代わりにエキストラ・ヴァージン・オリーブオイルを使う。「少しでもヘルシーにしたほうがいいでしょう?」と龍川さん。
玉子とじのカツ丼にはない香ばしさ。確かに豚肉は主役なんだけれど、その主張は強くなく、肉と衣と米とソースのバランスの良さが食欲を満たしてくれる。「あぁ、食べた」。そんな一言が自然と出てくる一品だ。夜食の出前ができたら、間違いなく注文するだろう。 「どこのソースカツ丼が一番おいしいかってですか? 福井市の『ふくしん』かな。でも、最近では、自分が作ったのが、一番おいしいですよ」と龍川さんは、大声で笑った。
ソースカツ丼の原形はドイツ料理の「シュニッツェル」
大正時代に東京・早稲田に誕生した一つの老舗が、福井県民の「食体験」に与えた影響は計り知れない。「仕事は厳しかったと聞いていますが、孫にはやさしいおじいちゃんでしたよ」と創業者・高畠増太郎を祖父に持つヨーロッパ軒総本店3代目64歳の高畠範行社長。 高畠社長によると、祖父・増太郎は、明治22年(1889年)11月、福井市の農家の三男坊として生まれた。小学校を卒業すると、市内の魚屋に奉公に出て魚のさばき方を学び、名古屋市の立ち食い寿司屋や山梨県の石和温泉で和食のイロハを身につけたという。しかし、石和温泉(※1)で板長と喧嘩をして店を飛び出し、横浜に出向く。そこでドイツ・ベルリンにある日本人向けレストランが料理人を募集しているのを知り、明治40年(1907年)、ドイツに渡った。 ウスターソースに出会ったのはその時代。料理修行を積むうちに、日本に帰国した際には、これを広めたいと思っていたのだという。明治45年(1912年)、お見合いのために帰国するが、同年、明治天皇が崩御。渡航自粛ムードも手伝って、ドイツには戻らず、早稲田に店を開くことになった。 ソースカツ丼は、ドイツのカツレツ料理である「シュニッツェル」をもとにしたのだという。「日本でどう広めようかと考えていたところ、ナイフやフォークを使わない丼に行き着いたようです」と高畠社長は言う。