瞬く間に会場キャパ350→2000に…永井真理子の80年代 57歳の今もライブでは「アドレナリンが出まくっています」
「YAWARAちゃん」と呼ばれ
1989年10月、テレビアニメ「YAWARA!」(読売テレビ制作)の放送が始まり、主題歌に永井の9枚目のシングル「ミラクル・ガール」が起用された。 「街で『YAWARAちゃん!』とか『ミラクル・ガール!』と声を掛けられることが多くなって、『いやいや、名前違うよ』と思っていましたね(笑)。そこから一般の人にも認知されるようになりました」 ただ、認知が進む激烈なスピードに気持ちが追い付かない実感もあった。嬉しさと不安がないまぜになり、この頃の自作詞には自然と悩みを持つ系統の内容が多くなっていた。 「いろんなことを経験しなきゃいけないのに、階段を上がるのではなく、景色も見ずにエレベーターで上まで行った感覚があって。どこかで自分の気持ちが切れ、ひずみが来る んじゃないかと感じていました」 バラエティ番組やドラマにも出演した。「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」では、番組内の「やまだかつてないバンド」でコーラスを担当し、番組エンディングに出演。後にエンディング曲となったバラード「ZUTTO」では、これまでで唯一のNHK紅白歌合戦出場も果たした。
他の誰かを演じられない
1992年4月期のドラマ「あの日の僕をさがして」(TBS)への出演は、違った角度の自分を見つけられるかも――との思いからだった。その後は1995年のドラマ「大地の子」(NHK)の台本に感動して出演を決めたが、これ以外のドラマ出演はない。 「私には二足の草鞋が履けませんでした。他の誰かを演じられないと分かり、好きな音楽を大事にやっていこうと思えました。『大地の子』は私が演じたのではなく、私の中に(演じた張玉花/松本あつ子が)入ってきた感じ。アーティストとか役者とかではなく、人としてやらないと、と思えた台本でしたから」 1993年にはギタリストの廣田コージと結婚し、2003年から10年間、家族とともに豪シドニーへ移住した。愛国心を再確認し、音楽に対する変化もあったという。 「作詞する際に、風や光といったワードを入れることが多くなりました。日本語の大切さも感じました。洋楽っぽいメロディーもあるけど、日本語の方がハマりはいいというか。とても勉強になりましたね」