「福祉が充実している国家」こそ「命の選別」をやりがちという「あまりに意外な真実」
「小さな政府」は意外と優しい?
ちなみに、福祉政策の充実に批判的で「小さな政府」を標榜する政府には、生まれてくる子を選別しないという特徴がある。 1980年代のアメリカで、重度の障がいを負って生まれた新生児に対して、医師と両親が「長くは生きられないし、生きていてもたぶんこの子は苦しく不幸だろう」と判断して安楽死させたという事件(ベビー・ドゥ事件)が起こったが、これに対してインディアナ州最高裁判所は、乳児を安楽死させるという両親の決定権は、「生命の質(Quality of life)がほとんど無に等しい場合」には、乳児の生きる権利に優先する、と両親の決定を認める判断を下した。 しかし、それを知った当時のレーガン大統領は直ちに、これは児童虐待、差別だとして反発し、司法省と保健福祉省に指示してあらゆる障がいをもつ新生児の治療を義務づけるガイドライン「ベビー・ドゥ規則」を施行した。 それは「生命の質」が無に等しいことを理由に新生児への救命医療処置を停止してはならないという姿勢を示すものであり、この規則によって治療や手術を拒否する親たちの一部は裁判所から親権を剝奪され、子の監督権は州に譲られた(しかしその後、アメリカ小児科学会とマスメディアの反対によってこの規則は廃止された)。 レーガン大統領といえば「小さな政府」として減税政策をとり、反福祉国家的な自由尊重主義者として知られているが、個人の自由を最優先するという点から、生まれてくる生命にはすべて生きる自由があるという考えも持っていた。 さて、どうだろう? 国が国民の面倒を見る代わりに、社会の負担になる生命を生み出さないでくれ、と言われるのと、国は特に援助はしないが、いろんな生命が自由に生まれ生きてくれ、と言われるのと、あなたはどちらに共感するだろうか? さらに連載記事<女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美