「星が降ったように肺が真っ白だった。“厄介な病気になったな”って」妻・篠ひろ子さんが初めて明かす、伊集院静さんの“最期”〈メディアに24年ぶりの登場〉
篠 部屋には水しかなくて、何も食べていなかった。今思うと、食べられなかったんだと思います。でもね、おかしかったのが「ちょっと待ってくれ」って部屋から出てきたとき、真っ白なジャケットを着ていて(笑)。 阿川 ここはジャケット着なきゃって思う方なんですね。要所要所で可笑しいのね(笑)。でも、怪我もされていたんでしょう。 篠 それまで気を張っていたのか、フロントまで降りてきて立てなくなってしまったんです。私には抱えられないのでホテルの方が車椅子を持ってきてくださって、病院に運び込みました。部屋で転んだのだと思うのですが、肋骨を骨折していたのでまず手術して。その後に消化器の検査をすると、数日後、「ちょっとお話が」と、余命宣告でした。 阿川 ショックでしたでしょう。 篠 そうだったとは思うんですけど、無と言うんでしょうか。その瞬間から私の感情は消えてしまったみたいで、それが今も続いている感じなんです。とにかく私から胆管がんですと伝えました。それ以上のことは言えなかった。「厄介な病気になってしまったな」と一言でした。
「亡くなった人は自分にさようならを言わなかった」
阿川 星が降ったように肺が真っ白だったとおっしゃってましたよね。 篠 もう何の治療もできる状態ではないので、緩和ケアの病院に移りました。本人はわかっていたと思います。「治らない人間になんで点滴なんてするんだ」と言われて「そうだけれども、それでちょっとは楽になったらそのほうがいいんじゃないの」という話くらいしかできなかった。 阿川 だいぶ穏やかになって、「苦労をかけたな」っておっしゃったんですよね。 篠 そうみたいね。でも私、よく覚えていなくて……。お手伝いさんの朋ちゃんによると、二人きりのときに「迷惑かけて申し訳ないな」って伊集院が言って、「そんな、迷惑なんてかけてませんよ」と返したらしい。どんなに必死に頑張っても悔いが残るものなのに、こんな大切な会話を忘れてしまうなんて、私は何をしていたんだろうと。 私の留守中には、「仙台に帰りましょう」と声をかけた事務所の女性に、伊集院は「それはもう難しいでしょう」と答えたあと、「女房を支えてください」と言ったそうです。 阿川 ありがとうとかも? 篠 そういう時って、お互いにそんな言葉は口に出せるものではなくて……言ってしまったらもう本当に終わりみたいで。伊集院も「亡くなった人は自分にさようならを言わなかった」と書いている。だから私にもさようならを言わなかったのかなって、思うんです。 ●伊集院さんが語っていた篠さんとの結婚の決め手や、二人のやりとりがうかがえる93年発表の短編、3年で終わるはずが31年になった結婚生活や、篠さんが仙台に居を移した思い、そして芸能界から姿を消した理由――。14ページにわたる対談の全文と、仙台のご自宅で撮影した秘蔵写真「伊集院静が妻・篠ひろ子に遺したもの」は 『週刊文春WOMAN2025創刊6周年記念号』 でお読みいただけます。 文:矢部万紀子 写真:篠さん提供、文藝春秋、橋本篤
篠 ひろ子,阿川 佐和子/週刊文春WOMAN 2025創刊6周年記念号