服役8回の元ヤクザが出所者の更生を支援 「人生のどん底」から抜け出すきっかけ探る
自身の更生にも長い歳月を要した。
3人兄弟の末っ子。スポーツ万能の兄、病弱だった2番目の兄。親の目をこちらに向けようと、小さいころから乱暴になり、中学になると「白ラン」にリーゼント姿で町を闊歩(かっぽ)。担任の教師への暴力、窃盗、けんかの毎日だった。中学卒業後には暴力団に入り、16歳で部屋住みのヤクザに。覚醒剤に手を出し、対立する組員を相手に監禁、傷害事件も起こした。刑務所への服役は計8度を数える。
最後の服役中に「娘が生まれた」と当時の妻から知らせを受けた。当初は実感がわかず、どこかひとごと。だが送られてきた娘の写真を見ているうち、たまらなく会いたくなった。
34歳で出所し、妻と娘の3人で1カ月間生活した。幸せだったが、今のままの自分が家族を持っていいのかと葛藤を覚え、一人で更生保護施設へ入った。
■500円支給の列に並びながら…
施設に食堂はあるが、土日はやっていない。その代わり、金曜日になると入所者に500円が支給された。その列に並びながら、つくづく痛感した。次に娘に会うときには、立派な人間になれているように-。
保護司にも支えられ、仕事を見つけて懸命に働いた。「腕の入れ墨が隠れるから」と選んだのは長袖シャツを着る営業職。たまに当時の仲間に会うと、立ち直ることの難しさを実感した。「行き場のない人たちの受け皿に」と、前科のある人を積極的に雇う人材派遣会社を設立した。
更生には①住む場所②仕事③相談相手―が必要だと川中さんは言う。「刑務所を出た全員が更生できるわけではない。『シャバ』での生き方が分からないまま戻ってくる子も大勢いる。出所してからの生き方を、教えてあげないといけない」
川中さんのもとには、多くの受刑者から「もう一度頑張りたい」と手紙が届く。その一人一人と面会するため、全国の少年院や刑務所を訪ね歩いている。
「僕自身、今でも覚醒剤の夢を見ます。体が覚えているから。そんなときでも、自分には使命があるから頑張れる」と川中さん。
サポートしている少年少女から裏切られることも多々ある。それでも「一度取った手は離さない」と誓っている。(鈴木源也)