ノートルダム寺院、2019年の火災で見つかった謎の棺、身元判明
火災という悲劇の中に見つかったよい発見。 パリのノートルダム大聖堂の火災の後に作業を行なっていた考古学者たちが、大聖堂の床下で石棺に入っていた謎の遺骸を発見していたのですが、その身元が特定できたそうです。
修復作業中に発見
2019年4月15日、ノートルダムは火災に見舞われ、何世紀もの歴史のある尖塔と屋根が燃えてしまいました。火災の後、フランスの国立考古学研究機関INRAP(National Institute of Preventative Archaeological Research)の研究者たちは、この歴史的な場所をできる限り保存しながら、尖塔の再建に向けて準備する作業を開始しました。その作業の過程で、2022年に教会の床下から偶然、鉛の石棺2つを発見したのです。 石棺は大聖堂の床下の配管設備内で見つかりました。研究チームは700年前と見られる石棺の1つにある穴に小さなカメラを入れて中身を調査。すると、中には人間の遺骸が! しかも布切れ、髪の毛、そして頭の上に葉っぱの枕があったそうです。これは宗教指導者が埋葬されたときによく見られる現象だと、専門家がロイター通信に語っています。
一人は簡単に判明
その後、遺骸は18世紀の司祭アントワーヌ・ド・ラ・ポルトだと特定されました。棺には「ド・ラ・ポルト」と銘板が付いていたので特定は難しくなかったとのこと。ド・ラ・ポルトは1710年に亡くなり、教会の権威者でした。しかもすごくいい歯だったとのことです。 問題はもう1つの石棺。遺骸の身元特定は難航を極めていたのですが、ついに特定されました!
2年かかってやっとわかった身元
チームは今月初めの記者会見で、もう一人の人物の推定される身元を含む新たな発見を発表しました。チームはこの遺骸が16世紀の詩人ジョアシャン・デュベレーのものであると考えていると述べています。デュベレーは1560年に亡くなった騎士であり詩人でもありました。遺骸の検死の結果、慢性髄膜炎と結核を患っていたこともわかっています。 発表によると、研究チームはもう1つの石棺内の人物の身元について手がかりを追い続けていたとのこと。遺骸の年齢と病状、そして教会内にあるデュベレーの叔父の埋葬地があることを考慮して、この遺骸がデュ・ベレーのものであると結論づけました。デュベレーは1569年に全作品が出版された後、今回見つかった場所に移された可能性があるとのことです。 今回の発見をまとめたINRAPの発表によると、研究チームは100以上の墓を発見し、そのうち80が発掘され、木製の棺も見つかったと述べています。これらの遺体の一部は経帯に包まれており、その布の断片がいくつか残っている状態だったそう。 そして墓が向いている方向で、故人が一般人(頭が西向き)なのか、聖職者(頭が東向き、つまり信者たちの方を向いてる)なのかを示している可能性があるとのこと。人骨以外にも、彫刻や石造建築の一部が発見されています。その中には、8世紀を経た今でも元の色彩を保持しているものもあるとのこと。こちらから発見されたものの写真が閲覧できます。 大聖堂は、5年間の集中改修工事を経て、今年後半に一般公開される予定です。
岩田リョウコ