【宮崎祐樹連載#26】立場は変わっても人格は変わらない岡田監督 やっぱり凄かったんだな
【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(26)】僕が現役だった時代のオリックスは監督が何度も交代しました。2020年途中に西村徳文監督から中嶋聡監督代行にバトンタッチされ、最下位から21、22、23年とパ・リーグ3連覇を達成しましたが、その直前のバファローズは低迷期が長く続いていました。 僕の入団時に監督だった岡田彰布さんは任期3年目の12年9月25日、シーズン9試合を残し、電撃解任という形でチームを去りました。この年は僕にとっては2年目で、チームとしては主力の故障離脱が相次いだ不運なシーズンでした。 12年の残り試合は一軍チーフ野手兼内野守備・走塁コーチだった森脇浩司さんが残り9試合の指揮を執り7勝2敗でした。翌年から正式監督に就任し2年目の14年には首位・ソフトバンクとゲーム差なし、勝率2厘差の2位に躍進しました。ところが翌年になると森脇監督は54試合の消化時点で19勝34敗1分けの最下位。自力Vが消滅した6月2日のタイミングで休養、途中解任となりました。 森脇監督は正式就任直後の13年にはよく起用していただきました。ただ、継続していい関係を構築できていたとはいえませんでした。14年にチームが2位になった際にも貢献できたとはいえません。 森脇監督の後を受けた福良淳一ヘッドコーチは15年シーズン途中から代行監督として42勝46敗1分けで、チームを5位までには立て直しました。翌16年には正式に監督となり、僕としては就任当初からよく起用していただきました。ですが、その福良監督も3年間で最下位、4位、4位とAクラスを経験することなく、19年から西村監督に交代する形となりました。 誰が監督であっても活躍できなければ選手自身の責任です。その時代、時代で監督や指導者と折り合いが良くなかったから活躍できなかったのではなく、僕自身が悪かったんです。それでも、最初は関係性が良かったはずなのに、後になって使ってもらえなくなるというパターンが僕には多かったと思います。 元選手の立場から論ずることではないかもしれないですが、監督という立場が人を変えてしまうという例は過去にも存在しました。「ヘッドの時は良かったのに、監督になっちゃうと人が変わっちゃった」などという会話は、他球団を含め先人たちからも聞くことがありました。 一般社会でも役職がその人物の器を超えると、受け止めきれないなんて話を聞きます。部長になったら人格が変わっちゃったとか。僕自身もプロ野球の世界でそういう経験をしなかったといえば嘘になります。 そう思い返すと、いろいろな意味を含めて僕にとっては最初にプレーさせてもらった岡田監督はいつも全く変わらない人でした。今思えば、やっぱすごかったんだなって思っちゃいますね。 岡田監督とは2年だけでしたけどね。ほぼ話す機会もなく「おう、頑張れよ」とかぐらいでしたけど。あんまり、直接的に選手を怒ったりとか、結果を選手の責任にしない人でしたね。 使っていただいた試合数でいえば、福良監督が最も多くてお世話になりました。今でも仕事関係で球団に行くことがありますんで、そこでも引き続きお世話になっています。そう思うとつくづくご縁は大切だなと痛感します。
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