モデルから人気カフェ店主、そしてフードスタイリストへ。女性菓子職人の働き方 vol.01 「Color Story Cake」田中知彩都さんの場合
おばあちゃんに買ってもらった「醗酵機」が食の未来を拓く
田中さん「16歳の時からモデルの活動をしていて、大学も東京でした。東京で学生をしながら、モデルの仕事や体型維持のストレスもあり休日は家に引きこもりながらの生活で、唯一の楽しみが毎日パンを焼くことでした。当時は学費もありましたし、裕福な生活ではなかったものの私がパンに夢中になっているのを見て、おばあちゃんがパン生地作りに欠かせない醗酵機を買ってもらったんです。そこから本格的なパン作りの勉強が始まりました。そこから学校を卒業したあと、フードコーディネーターの資格を取得したり、皆さんもご存じのパリのベーカリー『メゾンカイザー』で修業しました。その後、小さなベーカリーを開くことにしました。」
心強い相方とお菓子ユニット「Onaka」を結成と約7年間、忙殺の日々と新しい人生
パン屋開業時の田中さん田中さん「一緒にお店をやるパートナーを探していたら、料理学校で同期だった小澤かおりさんと再会しました。パン屋をやりたいと話したら、意気投合して。そこから共同でスタートすることになったんです。ユニット名は「小澤と田中なので『Onaka』になりました。いざ開業してみると、好きなことを始めたつもりでしたが、パン屋は朝も早く毎日必死に働いても利益はごくわずか。そんながむしゃらに働いているときに、ひょんなことからお店を任せられることになりました。その時は26歳。場所は羽田空港でした。羽田空港のカフェでパンケーキ、焼き菓子を販売することになりました。『Amicidelte(アミーチデルテ)』というお店です。本当はパンがやりたかったのですが、パンの機材が施設の都合上お店に入らなかったので。お店は年中無休。22名ぐらいのスタッフいて、凄く大変であっという間に数年が経ちました。あるときに、ずっと一緒にやってきた相方が北海道へいってしまったんです。私も子供を授かり出産したタイミングで、現場に戻ろうと思っていたのですが産後復帰したくなくなってしまい……。現場に何度か足を運びましたが、かえってストレスになってしまい。自分が本当にやりたい現場とは違う場所であったし、もう7年もがむしゃらにやったし、30歳を過ぎたら頑張り過ぎないようにしたいと思って辞めました。小さなアトリエを作って、子供と一緒におやつを作ることになりました。そして、崎間りえさんに出会い『「Color Story Cake』を立ち上げて今に至ります。テーブルコーディネートの仕事をしたり、お菓子を作ったり、家族との時間も相まって凄く充実した日々を過ごしています。」様々なキャリアを経ながら、人生の長い時間軸の中で「頑張るタイミング」と「やめるタイミング」を自身で決断した田中さん。そして子育てと本当にやりたい仕事を両立しながらも現在は新しいクリエイションと世界を広げる田中さんは、一つの女性パティシエの成功のロールモデルとも言えます。Instagram:@color_storycakePhoto&Writing/坂井勇太朗(ufu.編集長)
ウフ。編集部 編集長 坂井勇太朗