ある女性の人生【介護の「今」】
◇嫁いでみて
嫁いですぐに自分のような者が嫁に迎えられた理由が分かった。 夫となった人は、ひょろひょろとした風采の上がらない男だった。商売はしゅうと、家内のことはしゅうとめが圧倒的な権力を握っていた。 しゅうとめは、嫁の立ち振る舞いすべてににらみを利かせた。それは夜中まで及び、夫婦の寝室の横でしゅうとめのせき払いが聞こえることもしばしばだった。 夫はといえば、乳離れしていないくせに、妻には暴力を振るう男だった。 先妻は、病気で亡くなったと聞いていた。間違いではなかったが、心の病で衰弱したのだと後に知った。 それでも、夫との間に子はできた。自分も人並みに幸せをつかむことができるのだと、娘を出産したばかりの女性は少しだけ思った。
◇心労の子育て
先妻の子どもたちは、いつまでたっても新しい母親になつかなかった。とはいうものの、自分が腹を痛めた子だけをかわいがるわけにはいかない。しゅうとめの目におびえ、逆に先妻の子に甘く、自分の子に厳しく当たるという心労の日々が続いた。「尋常小学校しか出ていない無学者に孫の教育を任せられない」と、しゅうとめは子どもたちの教育に大いに口を出した。
◇「自分」を封印
嫁いでから30年以上もの間、しゅうとめは嫁にしゃくしを渡さなかった。しゃくしとは主婦権だ。わずかばかりの小遣い。夫や子どもの服も、もちろん自分の服も、しゅうとめに伺いを立てなければ買えなかった。 やがて女性は、自分で物事を決めること、自分の意見を言うこと、自分の感情までも封印する考え方がすっかりと身に付いていった。 しゅうと、しゅうとめ、そして夫が他界した後も考え方は変わらず、今は先妻の子に店を譲り、老いた女性はマンションでひっそりと暮らしている。自分の娘はとうに独立し、一人暮らしを続けている。
◇「したいこと」探し
90歳を超えた頃、腰を痛めて要介護になった。その頃から、自分を封じ込める考え方に少しずつ変化が見えてきた。 ケアマネジャーと呼ばれる人が、マンションを訪れるようになったのがきっかけだった。 「その人は、自分が生きて来た道の話に真剣に耳を傾けてくれるんです」 それを繰り返すことで、つまらない自分の人生にも、少しは価値があったのではないかと女性は思えるようになってきた。 「その人は、『どうしたいですか、何がしたいですか?』って、よく聞くんです。でも、決してせかすわけじゃなく、優しく尋ねてくれるんです」 それは、自己決定を促す質問なのだろう。 女性が長い人生の中で忘れてしまった「自分のしたいこと探し」を、ケアマネジャーは焦らずに手伝っている。(了)
佐賀由彦(さが・よしひこ) 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。