森且行、心の支えにする「SMAPの名曲」…グループ脱退から28年、今も歌詞を口ずさむ
2021年の1月、レース中の落車で命が危ぶまれるほどの大ケガを負ったオートレーサー、森且行さん(50歳)。奇しくも、その3か月弱前には日本選手権で日本一に輝いたばかりだった。 【画像】壮絶なリハビリを乗り越え、レーサーとして再起を果たした森且行さん(全6枚) そこからほどなく、まだ杖なしでは歩けない状態の森さんにカメラが密着開始。3年間を追ったドキュメンタリー『オートレーサー森且行 約束のオーバル 劇場版』が全国で劇場公開される。 森さん自身の厳しいリハビリ風景やインタビューだけでなく、生い立ちや、ともに歩んできた兄・森久典さんへのインタビュー、担当医や同期や後輩レーサーなどにも、カメラはレンズを向けた。 今も神経麻痺の残る状態でリハビリを続けながら、レースで走る森さんにインタビュー。お兄さんとの関係や、1996年、すでにトップアイドルグループだったSMAPからオートレーサーへと転身した森さんに、ファンへの思いも聞いた。
普通に歩けるなら、レースにも復帰できる、大丈夫だと思った
――穂坂(友紀)監督が、落車後に初めて森さんにお話を聞いたとき、「絶対に復帰する」と宣言されたそうですね。もう歩けないかもしれないとまで思われた大ケガだったわけですが、ご自身の中では復帰までのプランが。 森且行さん(以下、森):ある程度、できていました。じゃなかったら、たぶん出ていなかったと思います。絶対に無理だと思ったら、今回の企画自体を受け入れてないですね。 それに受け入れたということは、自分にプレッシャーをかけることにもなる。テレビに出て「復帰します」と言ってできなかったらかっこわるいじゃないですか。自分を追い込む手段としても利用させていただきました。 ――「復帰できる」に違いないと希望が芽生えたタイミングは。 森:先生の言葉かな。「大丈夫、歩けるようにはなるよ」って。「普段の生活はできるようになるよ」と言われたときに、普通に歩けるんだったら、これはもう復帰できると思いました。 僕たちの場合、エンジンが人間を運んでくれるわけだし。歩けるんだったら、大丈夫だと。 退院してからは自転車に乗りまくりました。立ち漕ぎしてね。立ち漕ぎすると、どうしてもバランスを崩してグラッとなるんですよね。自分が使える神経と、使えない神経があるので。そこを探りながら、とにかく自転車をたくさん漕ぎました。