田原俊彦 超多忙時のスケジュール披露 最後の仕事現場で対面する“戦友”アイドル「くったくたに…」
歌手で俳優の田原俊彦(63)が、12日放送のTBS系「櫻井・有吉THE夜会 2時間SP」(後9・00)に出演し、アイドル時代の超過密スケジュールの日々を明かした。 【写真】「NHK紅白歌合戦」初出場が決定した田原俊彦。松田聖子とポーズで笑顔 撮影=1980年11月20日 田原は旧ジャニーズ事務所(現SMILE―UP.)から80年に「哀愁でいと」で歌手デビューした。野村義男、近藤真彦との「たのきんトリオ」としても活動して人気を博し、歌にドラマにと大活躍。94年に独立した、事務所のレジェンド的存在だった。 80年代はテレビ各局がゴールデン帯などに音楽番組を組んでいた時代。特に田原は、ランキング番組では毎週のように上位に入っていたため、ほぼレギュラー出演のような状態だった。 トークには「嵐」櫻井翔や歌手の森口博子、さらにタレント朝日奈央も加わった。森口から「何かの記事で、365日働きっぱなしが8年間くらい続いたって」と振られた田原は、「それくらい続いたかな?」と認めた。さらに「あんまり寝てなかったね。台帳って、櫻井君もあったと思うけど、スケジュール帳ね。ホントにね、ホントに真っ黒け。元旦から大みそかまで」と振り返った。 当時の1日のスケジュールも明かした。「だいたい朝7時くらいに起きて、朝一番に取材。午前中はほとんど取材、各社の。明星、平凡、近代映画の」。午後からはドラマ、歌番組の収録や、映画撮影などがあり、9時からはレコーディング。さらに日付が変わっても仕事があったという。「てっぺん(深夜0時)くらいに終わって、僕は最後の仕事が、ニッポン放送のラジオ、帯(番組)。てっぺん回ってくったくたになっている(松田)聖子ちゃんとか、みんな来るんだよ。みんな帯持ってるから」と、売れっ子の苦悩を明かしていた。 そうしているうちに、多忙を極める他のアイドルたちと戦友のような意識が芽生えたようで、「聖子ちゃんとか(中森)明菜ちゃんとか、ホントに仲いいですよ」と打ち明けた。