藤井フミヤ:デビュー40周年を超えてファンとの絆はより強固に 2周目の47都道府県ツアーへ
アーティスト活動42年目に入った藤井フミヤ。2025年4月から翌26年7月まで1年以上をかけて、自身2回目となる全国47都道府県ツアー「F-UTA-TABI」の開催が決定。1年以上に及ぶツアーは公演スケジュールを区切って、順次チケット販売が開始される。 【画像】そのほかの撮りおろし写真やツアーKV 1983年9月21日にチェッカーズのリードボーカルとしてデビュー。40周年を記念して、2023年9月から初の47都道府県すべてをまわる「40th Anniversary Tour」を開催。全60公演で11万6000人を動員。24年6月9日に61本目となる日本武道館公演に1万4000人を動員してアニバーサリーを締めくくった。 確かな手ごたえをつかみ、「できるうちにやっておきたい」と、再び47都道府県へ。今回もソロはもちろん、チェッカーズやF-BLOODまで惜しみなくラインナップされたステージを約束する。 ――40周年という節目に、これまでのキャリアを振り返ることもあったかと思いますが、新たに気づいたことはありましたか? 【フミヤ】40年は、さすがに長い(笑)。デビュー当時に生まれた子どもが40歳になるわけだから。昭和、平成、令和と時代をまたいで、レコードからCD、配信、サブスクと音楽の聴き方、アナログからデジタルへの変化を全部経験してきた。僕らがデビューした80年代は家庭にビデオデッキが普及し始めた時代だったこともあって、当時の映像がたくさん残っているんだな、というのも改めて感じたね。 ――チェッカーズの人気に火をつけるきっかけになった『ザ・ベストテン』に、「今週のスポットライト」として出演して、「涙のリクエスト」を歌われた時の映像もテレビの特番で観ました。 【フミヤ】当時は家にテレビが1台しかないのが普通で、『ザ・ベストテン』を見ていないと翌日、学校で話題についていけないくらいの勢いだったからね。全国放送の歌番組も多かったし、興味がなくても家で誰かが観ていたら否が応でも聴こえくるような環境でもあった。そうやって刷り込まれているから、ファンじゃなくても久しぶりに聴くと懐かしいって思ってもらえたり、声を聴いただけでフミヤが歌っているって気づいてもらえたりしているんだと思うと、すごく運が良かったんだと思う。 ――昨年末、26年ぶりに出場した『NHK紅白歌合戦』はいかがでしたか? 【フミヤ】あんなに喜ばれるとは思わなかった(笑)。ファンも「おめでとうございます」とたくさん言ってくれて、まるで初出場みたいに。知り合いからも「良かった」とか「見ました」とたくさん連絡もらって。大みそかに『紅白』を見て、「今年も頑張った」と振り返る時間が持てるって、平和そのものって感じで、良いものだなと思いました。 『紅白』は26年ぶりです、デビューから40年です、と言っても、やっていることは何も変わっていないんだよね。ステージに立って演奏して、歌って、それを聴く人たちがいて、というのは変わらない。なんならモーツァルトの時代から変わらない(笑)。 ――「変わらない」ことを変わらずにやり続けるというのも誰にでもできることではないです。 【フミヤ】「フミヤは変わらず元気にステージに立っている」と感じてもらえるだけでうれしい。それが“現役”でいることの価値だと思う。僕らの職業は、ファンがいて初めて成り立つもの。ファンが支えてくれている実感が年々増してくる。最初は「売れてやる」って、世間全体に向けて発信していたけれど、続けていくうちにどんどんファンが中心になっていくよね。