耳が聞こえない「ろう」のひとたちの苦しい現実に衝撃…「当事者」ではない人間はどう物語にするのか
難しいとわかっていても伝えようとする姿勢の誠実さ
「耳がきこえない」生活から生じる苦労に共感するのは容易い。だが、その共感は非当事者のものでしかなく、どれだけ知ろうとしても越えられない境界線の存在を、つばめは取材するにつれて突きつけられる。記憶に頼るしかない識字の難しさ、手話と口話で左右される教育方針、優生保護法による法の差別……。コミュニケーションの問題だけではない、これまで知らなかった事実に打ちのめされる読者も多いだろう。そして現実が辛く苦しいほど、「物語」として伝えるのも難しい。 だが、「伝える難しさ」を徹底的に示したうえで、それでも伝えようとする姿勢を打ち出すのが本作の素晴らしさだ。祖父をはじめ、耳がきこえない困難を抱えていても伝えることを諦めなかった人々の思いをつばめは知る。それは遠い過去から現在にかけて、つばめのもとまで確かに思いが伝わった証左でもある。そして、立場が違っても変わらない普遍的な「伝える難しさ」に気づいたつばめは、ろう者である祖父をなぞった物語ではなく、自らの心情をのせた物語として書こうと、「書きたいもの」を見つけて成長していく。 誰かの物語ではなく「わたしの物語」にする。それは自分を書く側、相手を書かれる側に切り分けるのではなく、対等な立場から共感して、「自分ごと」にする営みでもあるだろう。当事者になれずとも、自分ごととして書くことはできる。相手だけでなく自分の感情をも背負うことで、はじめて覚悟はともなうのだ。 一色さんは今回、「私の祖父はろう理容師だった」と明言している。実話に基づきながら祖父の生きざまを正面切って描き、同時に小説家として「小説を書く」営みの難しさにも迫った本作は、自分にも相手にも誠実だ。だから読者にも思いが伝わる。そして繋がっていく。本作を読み終えたとき、ろう者が直面してきた現実は、あなたにとっても他人事ではない「自分ごと」として胸に刻まれているはずだ。 一色さゆり(いっしき・さゆり) 1988年、京都府生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒 業。香港中文大学大学院美術研究科修了。2015年、「神の値段」で第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞して、翌年作家 デビューを果たす。主な著書に『ピカソになれない私たち』、『コンサバター 大英博物館の天才修復士』からつづく「コンサバター」シリーズ、『カンヴァスの恋人たち』など。近著に『ユリイカの宝箱 アートの島と秘密の鍵』などがある。
あわい ゆき(書評家・ライター)