富士山と宗教(1) 北麓の地の火祭りの夜、大松明の前で祈る人々
山梨県富士吉田市で例年、夏の終わりに行われる鎮火祭。吉田の火祭りとして知られている。富士山を鎮め、山じまいを告げる北口本宮冨士浅間神社とその摂社である諏訪神社の祭礼だ。同市上吉田(かみよしだ)地区の通りには大松明(おおたいまつ)と呼ばれる高さ約3メートル、直径約90センチの松明が数多くたち、日が暮れると次々に火がつけられ町一帯が炎に包まれる。その巨大松明の前で、白装束姿で祈りを唱えている集団がいた。富士講の信者たちだ。
線香を積んで富士山に
富士吉田市の中心市街地は、上吉田と下吉田にわかれ、町の風景も異なっている。 下吉田は商業の町。一帯は郡内織と呼ばれる織物の産地でもあり、下吉田は郡内織の売り買いの場として江戸や京都から商人が買い付けに訪れて栄えてきた。 一方、上吉田は富士山と富士山信仰の町。北口本宮冨士浅間神社を核に、神官や山小屋を営む人たちが多く暮らす。その上吉田に御師(おし)と呼ばれる家がある。 御師は、富士山信仰を布教する宗教者、そして富士山を登拝する信者らの宿坊を経営する人たちだ。登拝とは信仰、参拝のために山に登ること。吉田の御師は古くは戦国時代からあり、江戸時代には86軒もの御師があったのだそうだ。そして夏になると登拝に訪れる信者で大いににぎわった。 平成時代の今日も上吉田では御師が営まれ、富士講信者らが御師の家に寝泊りして登拝を行っている。火祭りの日、御師の家の前の大松明では、燃え盛る炎の下で祈りを唱える信者の姿があった。 行衣に鈴をつけ、手甲に脚絆、地下足袋。宝冠と呼ばれる数メートルの布を頭に巻き付けている信者もいる。地面に布を敷き、塩を盛って土手を作り、その中央に線香を次々と重ねていくと富士山をかたどった線香の山ができあがった。 大松明に火がともされ、線香の富士山の前にたてた2本の蝋燭にも火がともされて祈りが始まった。塩加持と呼ばれるお焚き上げの神事だ。「無病息災の祈りです。天地自然を敬って自然災害などが起きないように祈ります。生活の安寧を祈ります。その形のあらわれなのです」と信者は語る。 富士山世界文化遺産の構成資産になっている吉田胎内。富士山の噴火で流出した溶岩流と樹木によって作られた空洞は体の内部のようなので胎内と呼ばれ、くぐり抜けると体が生まれ変わり、身が清まるとして富士講信者の巡礼の地になっている。その吉田胎内で4月に行われる吉田胎内祭や6月の富士山開山前夜祭でもお焚き上げの神事が行われる。