富士山と宗教(1) 北麓の地の火祭りの夜、大松明の前で祈る人々
灰を包んだ布で体を擦る
「ショウフウレンマンゴクギモンゴクコウキュウダンショウジョウテンソク…」。呪文を唱えるように富士講信者は、大松明が放つ火の粉を浴びながら一心不乱に祈りを唱えている。 周囲では、お焚き上げの神事をひとめ見ようと大勢の人たちが人垣を作って、その様子を見守っている。ひとしきり祈りを唱えると、高く積まれた線香の富士山に火がともされ、線香の富士山から激しい火が噴き出した。 信者らは、線香の富士山の火を時折、手で操るようにかざし、さらに祈りを唱えていく。やがて唱和が止み、燃え尽きた線香の灰と塩を布で信者が包み始めた。その布を互いに背中に当てて擦っていく。信者同士の擦りあいが終わると、信者の1人がそれまで神事を見守っていた人々に声をかけた。 まるで何かのショーを見るかのようにお焚き上げの神事を見守っていた人垣は、たちまちご利益を願う長い列へと変わり、順番が回ってきた人たちは、信者から背中に灰の入った布を当ててもらう。最後は、包んだ布を地面に置いて広げると、大勢の人が灰を手にしようと群がり、その光景は民間信仰、大衆信仰を彷彿とさせた。
富士講にどのようにして出会い、信者になったのだろうか?信者の1人に聞いた。「家族の病気を治したい、何かできることはないかと富士山に祈願をしたのが最初でした。日々の生活の中で、自分の心持ちとしてどう過ごすのか、その精神のベースになっています。山に登り自然の中に身を置くことで、自分を見つめることができるので、富士山はとても大切な場所なのです」。 火祭りの夜、御師の家には富士講信者にとどまらず様々な人たちがいた。名古屋からきたという40代の会社員の男性。17回ほど富士山に登っているという。「昔のしきたりに倣って金鳥居から歩いて登り、鈴原、御室浅間神社など神社、仏閣を巡りご朱印を集めている」。 金鳥居とは富士吉田市の中心市街地の通りに建つ鳥居。金鳥居を境に上吉田と下吉田にわかれ、かつて多くの登拝の信者が金鳥居をくぐって富士山に登ったという。 鈴原とは1合目にある鈴原天照大神社のこと、御室浅間神社は2合目にある冨士御室浅間神社のことだ。男性は富士山にとどまらず神社や仏閣のある霊山ばかり登り、ご朱印を集めているという。富士講信者の間では富士山に33回登拝すると、ひと区切りとされている。 男性は「会社を辞めて富士山の山小屋で働いていたこともあります。33回登拝するとひと区切りなので、33回登拝することを目指しています」と話していた。