「母にそんな意図はなかったけれど、27年経って未だ“残されたこと”を夢に見る」ジェーン・スー
作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。 【写真】この記事の写真をもっと見る * * * お母さん!と叫ぶ自分の声で目が覚めました。時計を見ると朝の4時。 母が鬼籍に入って今年で27年になります。私が24歳の時に亡くなったので、いつの間にか母がいない人生のほうが長くなってしまいました。 厳しくも温かく優しい、ユーモアたっぷりの母でした。叱られたことは何度もあるけれど、冷たくされたことは一度も記憶にありません。にもかかわらず、母が亡くなってから定期的に、母に冷たくあしらわれる夢を見るのです。 同じ夢ではなく、毎度バリエーションが異なります。今回は、小さなアパートが舞台でした。ある日、どういう理由かはわかりませんが、母が出て行ってしまう。母の荷物がすべてなくなったあとのガランとした部屋で、私が泣き出す夢でした。そこで感極まり、大きな声で「お母さん!」と叫んだ瞬間に目が覚めたのです。我ながら可哀相な私! 明るくなってきた空を眺めながら水を飲み、ぼんやりした頭で思いを巡らせてみると、冷たくあしらわれる夢にせよ、今回の夢にせよ、テーマは「置き去りにされる」ことだと気づきました。27年も経って未だ、私は父と残されたことを恨めしく思っている。 父を私に託して逝ってしまったことに傷ついていると言ったほうが正確かもしれません。母にその意図はありませんが、結果的にはそうなっています。時間と手間はほとんど費やしていないものの、86歳になった父の生活を金銭的に支えているのは私です。 つい先日、十分暮らしていくには不足する年金しか受給していない父の、これからの生活に掛かるであろう費用を概算して空を仰ぎました。いままでの分もトータルすると、子どもを産んで、育てて、医学部に入れて卒業させるくらい。父が私にそれを強く求めたわけではなく、不自由なく暮らしてほしいと願う私の自由意思ではあるものの、なかなかの覚悟が必要だと悟りました。頼まれたわけでもないのに勝手に落ち込んで、独りよがりにもほどがある。
母が生きていたらなあ、と思うことばかりです。とはいえ母は父の6歳年上でしたから、いま生きていたらそれはそれで大変なのだけれど。 私の老後もすぐにやってきます。私には私のようにできた娘はいないので、自分でどうにかしなければ。 そのころにはせめて、冷たい母の夢を見なくなっていればいいのだけれど。 じぇーん・すー◆1973年、東京生まれ。日本人。作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニスト。著書多数。『揉まれて、ゆるんで、癒されて 今夜もカネで解決だ』(朝日文庫)が発売中。 ※AERA 2024年6月24日号
ジェーン・スー