引退まで「1250本のラケットを一本も折らなかった」ラファエル・ナダル38歳の四大大会22勝より大切なこととは…「小さな村の良き人間として」
最後まで故郷マヨルカを離れなかった
優しく見つめるナダル陣営の顔ぶれは、驚くほど変わらない。コーチはナダルが3歳のときから指導してきた叔父のトニーからカルロス・モヤに引き継がれて7年になるが、そのモヤだってナダルを10歳の頃から知る同郷の兄貴分だ。ナダルにとっての最初のデビスカップ優勝をともに勝ち取った仲間でもある。 5年前に結婚した妻のフランシスカも、19歳のときからのガールフレンドでやはりマヨルカの女性。もともとは妹マリア イザベルの親友だった。二人はいつも隣り合って座り、今はフランシスカの腕に2歳の息子ラファエルが抱かれている。その横に母アナ マリアがいて、父セバスチャンがいる。 故郷を愛し、家族や仲間を愛したナダルは最後までマヨルカを出なかった。ジュニアの頃には自国の協会から強化選手としてバルセロナへの誘いもあったが、両親はテニスのエリート教育以上に、親元での人としての教育を重んじたのだという。 「家族は僕が調子づいているときも、謙虚に地に足を着けて進むように接してくれた。これからの人生でも何が起こるかわからないけれど、何が起こっても冷静に対処できるように教育してもらったと思っている」
1250本のラケットを一本も折らなかった
ナダルが10月に引退を正式に発表した直後、ある数字が注目を集めた。『1250』。契約するバボラから、キャリアを通して提供されたラケットの数だ。ナダルはその一本たりとも壊さなかった。 テニスの孤独な戦いは時に感情のコントロール力を失わせるが、ナダルがその苛立ちをラケットにぶつけたことはない。紳士の代表格のようなフェデラーでさえ、若い頃は違った。試合でうまくいかないときは、ラケットを叩きつけ、わめいたり、悪態をついたりした。フェデラー自身ものちにこう反省している。 「誰になんと言われようが、感情を外に吐き出すことが自分にとっては一番いい方法だと思っていたんだ。それがいかにエネルギーを無駄にしているか気づくまで、少し時間がかかった」
ラケットに当たらなかった理由
ナダルがそんな時間さえ必要としなかったのは、幼少の頃からのトニーの教育があったからだ。 「ラケットを投げたら、もうテニスを教えないよ」 そう厳しく言い聞かせていた。なぜラケットに当たってはいけないのか。集中力を乱すからとか、弱さが露呈されるからとか、そういった理由ではなかった。 「世界には、欲しくてもたった1本のラケットを持てない子供たちが何百万といることを忘れちゃいけない」 両親が何よりも大切にした、人としての教育とはこういうことでもあったのだろう。 最後のラケットを丁寧にバッグにしまい、ナダルはナダルらしくコートを去った――。
(「テニスPRESS」山口奈緒美 = 文)
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