森山直太朗インタビュー「映像作品『素晴らしい世界』をきっかけに、見た人がそれぞれの中にある何かを考えるきっかけになってほしい」
両国国技館で「素晴らしい世界」を歌った後に感じた、「もう探さなくていいんだ」っていうひとつの結論と、父の死に際して3人でまた一緒に過ごせたけど、それまでの40年という空白が決して無きものにはなってないという現実が、複雑な模様で入り混じっているというか......決してハッピーエンドという感じではなかったじゃないですか? 特に映画は。人が何かの真実に辿り着くためには、自分の中に潜んでいる深い闇にじっと目を凝らさなきゃいけないんだっていう厳しい現実と、でもどこかで「良かったね」っていう思いが交錯している、その複雑さを色にするなら真っ白なんですよね。だから、最後は白い世界で終わりたかったんです。そこに、見ている人の様々な思いや問いをどんな色でもいいから垂らしてほしい......そんなふうに思いました。 ――森山直太朗というひとりの人物が抱えている空白は、視点によってそれが空白かそうじゃないかが変わるというのはとても面白いですね。 そうなんですよ。その空白こそが一方で自身のアイデンティティになっているっていうことなんですよね。Blu-ray & DVDのブックレットに寄せた文章の中でこんなことを書いているんです。それは......自分がなぜ音楽を始めたのか? ということへの洞察です。母親が音楽をやっているがために僕は愛情を奪われたように感じていたから、音楽を毛嫌いし遠ざけていたはずなのに、なぜ音楽を選んだのか? 振り返って考えてみたら、父と母の唯一の共通言語が音楽だったんですよ。音楽を通して知り合った彼らが、別れたとしても......それがどんなにきつい別れ方だったとしても......僕が音楽をやっているっていうことが、何かふたりのつながりになるんじゃないかって、そういう思いが心の奥の方にはあったんですよね。あるいはそうやって、僕自身が父と母の存在を肯定的に捉えたかったのかもしれない。だから結局僕は感謝しているんですよ。僕のこの境遇に。普通の視点から見たら、おそらく幼い頃に僕を取り巻いていた世界というのは、ある意味で理不尽なものだったと思うんです。でも、僕が音楽を始めることによって、それを僕自身のアイデンティティにすることができた。そこが、人の人生っていうものを考えたときに、面白いし、めんどくさい部分ですよね。だから、「よかったでしょ」って、もし母親に言われたら、それはそれで腹が立つんですけど(笑)。 ――ははは。 音楽をやることでしか自分を証明できない、そういう関係だから、たとえば音楽番組なんかで良子さんと僕がふたり並んで歌っている、とかよりも、今回の映画で父の死に際でようやく40年ぶりに3人が揃ったっていう方が望んだ共演の形なんですよ、あれは。 ――すさまじいですね(笑)。 ですよね(笑)。だって、幸せな家庭だと思われちゃうと嫌だもん。 ――どうして自分が音楽を始めたのか? という根源的な問いの螺旋の中で、そこに父と母との関係というものが大きく関わっていることが改めて分かったと。では、直太朗さんにとっての音楽というのは何を指すものなんでしょうか? 曲を作ったり、レコーディングしてCDを作ったりっていうのは、僕にとっては音楽のための手段なんです。では、僕にとって音楽とは何か? と聞かれたら、それは舞台表現なんです。僕は舞台を、空間を作りたいんです。そこでこの音を響かせたら、どんな世界になるんだろう? っていうことが本能的な興味としてあって、それを満たしていたいんですよね。もしかしたらそれは、音楽じゃなくてもよかったのかもしれない。でも、先ほど言ったように、僕には僕だけの空白があって、それが僕を音楽に向かわせる力には逆らえなかったので。と、今はこうしてはっきりと言うことができるんですけどね。でも『素晴らしい世界』という名で107本のツアーを回る2年前だったら、こんなふうには答えられていなかったと思いますね。