「北の富士さんの決断で千代の富士さんの胸を借りたから大関に上がれた」元大関・琴風が出稽古振り返り追悼
大相撲の第52代横綱で、人気解説者だった北の富士勝昭(本名・竹沢勝昭)さんが12日午前に東京都内の病院で82歳で死去したことが明らかになった。 * * * * かっこいい力士だった。私が序二段の頃だと思う。花道でいつも北の富士さんを見ていた。足が長くてハンサム。立ち合いからのもろ手突きもけれん味がなかった。投げもきれいで、肩透かしもスマート。少女が沢田研二を見るように私も北の富士さんに憧れていた。休場中にハワイでサーフィンをして協会に怒られた時も「スケールが大きい」と思ったほどだ。 師匠としては、ほめて伸ばすタイプ。ウチの師匠(先代の佐渡ケ嶽親方=元横綱・琴桜)は正反対のどなって叱って伸ばすタイプ。どっちが良いかの問題ではない。それは北の富士さんが2横綱、ウチの師匠も3大関を育てたからだ。 私が千代の富士さんに初対決から7連勝した時、一門の壁を越えて千代の富士さんがウチの部屋に出稽古に来るようになった。師匠の北の富士さんが私の馬力を高く評価、その馬力に勝てるようになれと許可を出した。その後、私と千代の富士さんの対戦成績は1勝22敗。まったく勝てなくなってしまったが、北の富士さんの決断で千代の富士さんの胸を借りたから、大関に上がれたと信じている。 79年の秋巡業だった。膝のけがで三役から幕下に落ち、審判部の部屋でウチの師匠の背中を拭いていたら、北の富士さんが来て「三役まで上がった力士にそんなことをさせないでくださいよ」と師匠に言ってくれたこともあった。22年の春場所、会場ですれ違う時に「お疲れさまです。相変わらずかっこいいですね」と声をかけたのが最後の会話になってしまった。優しい笑顔が忘れられない。(元大関・琴風、スポーツ報知評論家)
報知新聞社