陰謀論情報を発信、30代彼がオカルトに冷めた瞬間 ノストラダムスに、スカイフィッシュの映像が
今からすればとんでもない価値観をしていたと思いますが、技術や勉強の良いところって『成果を出せればOK』なんですよね。僕のように価値観が不穏でも、成績が良かったり、まじめに研究していればうるさく言われない環境が学生の頃はあったので過ごしやすかったです。 ■苦痛だった就職活動 そんな環境で何とか生きていたので、新卒就活は辛かった。日本の就活で問われるのは、技術というよりは志望動機や社会に適合する内容の自己PR。何だか価値観の踏み絵を迫られているようで、ひどく苦痛でした。価値観は関係なく技術や成績一発で採ってくれたら楽だったのですが、そうはいかない。仕事をしている今ではそれらが大事なことがよく分かるのですが……」
雨宮さんが就職活動をはじめた時期は、リーマンショックの影響で氷河期だった。 雨宮さんは、卒業後も東京にいたかったので、東京で就職することにした。 「理系の罠がありました。今は違うかもしれませんが、就職が良いのは主に機械・電気・情報で、生物は不利でした。また、東京で刺激のある生活を送りたかったので、首都圏勤務になれそうな会社を探しました」 雨宮さん自身、大学院で研究をしながら、生物よりもプログラミングのほうが向いていると思うこともあった。
「生物って理屈通りいかないんですよ。ネズミN匹で実験したら結果がバラバラになったとか、普通に起きます。それから生き物なので成果が出るのが遅い。元々趣味でやっていて研究でも使っていたプログラミングは、書いたら書いた通り動く上、すぐに結果が分かるので、そっちのほうが自分の性格に合っているような気がしました。『攻殻機動隊』も好きだったし、脳神経科学の次はITに行ってみるかと考えました」 IT系の企業に就職し、システムエンジニアとして働くことになった。
「元々ネットにどっぷりはまっていたし、プログラミングも経験はしていたので、エンジニアとしての仕事にはすんなり適応できました。 新人の頃はプログラミングが中心だったんですが、段々、 『クライアントに話を聞いて、要求に答える』 のがメインの仕事になっていきました。相手は人間、つまり生物なので理屈通りには動かないのですが(笑)、それでも仕事として充実しており、結果としては良かったと思います」 仕事をしていく中で、小さい頃からあった破滅願望が薄れていくのを感じた。