『光る君へ』紫式部が<彰子サロン>に就職!そこで出来た美人で優秀な親友「宰相の君」の父親はまさかの…家をあてにできなかった女性貴族たちの奮闘
◆凡庸と言われた道綱の娘でありながら… 紫式部が出仕したのは1006年頃で、道綱はとっくに大納言でしたから、「宰相の君」はかなり若い頃からの通り名で、おそらく紫式部には「年下の美人上司」という感じだったのでしょう。 道綱の娘ですから、関白兼家の孫娘でありながら、今でいうバリキャリになっていたわけですね。凡庸と言われた道綱にしてはよくできた娘さんです。 彼女の母はわかっていないので、関白の子とはいえ庶子である道綱(母は『蜻蛉日記』の作者)のさらに庶子として生まれたのでしょう。 彼女は美人でしかも頭のいい人(祖母に似たのかな…)だったので、中宮になった従姉妹の彰子の元に送り込まれたとも考えられます。もしかしたら、道綱は意外に目端のきく人だったのかもしれません。いや、やっぱり彼女の母の手柄かな? そして彼女は出産のお世話をした敦成親王の乳母として従四位という高い位になり、最後は従三位という地位にまで上ります。
◆もう一人の「宰相の君」 さて、実はこの時代にはもう一人「宰相の君」がいました。それは定子皇后に仕え『枕草子』に出て来る「宰相の君」です。 この人は清少納言と並び称される才女として知られ、和歌は清少納言より上、漢文も同等くらい詳しいと清少納言自身が認める同僚でした。 ドラマでははんにゃ・金田さんの演じている藤原斉信と白楽天の詩を巡ってやり取りをしたエピソードが『枕草子』に記されています。 そして定子が長徳の変の後、苦しい立場にあっても、清少納言とともにそばを離れなかったという侠気ある人です(平安マンガ、かかし朝浩『暴れん坊少納言』には、清少納言へのツッコミ役として出てきます)。
◆女性たちの奮闘 彼女の父は参議藤原元輔と考えられます。その場合、祖父は顕忠であり、なんと村上天皇(一条天皇の祖父)の時代の右大臣でした。 顕忠は菅原道真を失脚に追い込んだ左大臣藤原時平の次男で、時平の子の中で唯一長生きをした人ですが、政界は時平の弟、忠平の子供達に牛耳られるようになり、その子孫は衰退していきます。 その中で元輔の娘は上級貴族の娘でありながら、皇后付きの女房の道を選び、華やかな定子サロンの主要キャラクターになっていったようです。 力を失いつつある家をあてにできない姫たちが、自分の親の身分や才覚を生かして、有力なバックを持つ姫のもとで働くーー。 そういった女性たちの奮闘は、すでに清少納言の時代から見られていたのです。
榎村寛之
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