【ゴローズ・受け継がれしもの】仲間たちが語る、ゴローとの“絆”
ゴローさんが初めてメンズクラブに登場した誌面
雑誌『メンズクラブ』10月号11月号と、2号連続で展開した「ゴローズ特集」から一部をピックアップして再編集しておおくります。改めてゴローズ、そして髙橋吾郎さんの魅力を感じてください。 【ゴローズ黎明期のアーカイブ記事写真集】1970年代の「ゴローズ」取材を年代別に紹介
誰よりも固い絆で結ばれていた、生涯の仲間が語る
その存在感と人柄に引きつけられるように、芸能人やファッションデザイナーなど、多くの交友関係を築いていたゴローさん。でも、この2人とは誰よりも固い絆で結ばれていました。生涯の仲間が語る、ゴローさんと過ごした日々--今企画では、ゴローさんをメンズクラブで初めて取材した写真家・池 利文さんと、1972年に伝説のファッションブランド「グラス」を創業した山田明光さんにお話をうかがいました!
「ゴローは自分自身に 確固たる自信があった」(池さん)
池:「僕にしても明光にしても、ゴローとはだいぶ長く深い付き合いをしてきました。ゴローのことをここまで知っているのは、僕と明光しかいないと思う。だからこそ、あまり話しちゃいけないことも多すぎてね(笑)」。 山田:「僕がゴローちゃんと出会ったのは、池さんよりも後だと思います。年も2人より若いから…」。 池:「僕はね、写真家の中村正也さんの助手を辞めて、一時期、会社に勤めていたんですよ。その会社に、上野にある『中田商店』からカタログをつくるから写真を撮ってくれってオーダーがきたわけ。そのときに当時の社長、中田忠夫さんと知り合って、そこにゴローもいたんです。それが最初の出会いで、僕が20代後半の頃かな。当時ゴローはレザーのウエスタンベルトをつくっていて、それを中田商店が売っていた。中田さんって人は、すごく見る目があったんですよね。当時のゴローはね、こういうふうに言うとわかりやすいと思うけど、「トヨタの新車を買ってきて改造して、自分なりのスポーツカーに変えちゃうような人」。年齢は僕より5歳下ですが、彼のほうが突っ張ってましたね。自分に自信があったんだよね」。
「初めてゴローちゃんを見て “あ、この人だ”と思った」(山田さん)
山田:「僕が池さんに初めて会ったのは、たぶんゴローちゃんの駒込の家だと思います。そのときゴローちゃんは、クルマをつくっていたね。もう、なんだかわからないくらい全部ぶっ壊して…」 池:「ゴローの家には、山本寛斎さんもいたね。寛斎さんとゴローというのはその頃の、ちょっと突っ張った若者っていうのかな…寛斎さんは、ゴローがつくったインディアンスーツみたいなものをよく着ていましたね」 山田:「僕がゴローちゃんに初めて会ったのは、18歳の頃。辻堂でサーフィンをしていたんですが、すごく輝いて見えて、“あ、この人だ”と思った…。いちいちカッコよかったからね。言葉も、あいさつの仕方も、何もかも。だから、「ついていこう」って思ったんです。僕はただ憧れてくっついていただけ。池さんに対してもそう、みんな本当にカッコよかった…」