『ラスト・クリスマス』発売7年後に、ジョージ・マイケルがキャリア史上で最高だと思った瞬間
「僕のキャリアで最高の誇らしい瞬間だったよ」
本来2枚組となるはずだった『リッスン・ウィズアウト・プレジュディス』は、進行上の都合もあり先行して『Vol.1』がリリースされたが、裁判が泥沼化したことで『Vol.2』の発売は立ち消えになってしまう。 その後も契約上の問題も発生して、ジョージは思うようにレコーディング作品を発表できない時期が続いた。 ポップスターの顔と、表現者としてのジレンマに揺れながらも、ひとりの人間として信念を貫く。この時、ジョージ・マイケルはまだ27歳。 そして、このまま忘れ去られるスターの一人になりかけたとき、ある出来事が起こる。 1992年4月20日にウェンブリー・スタジアムで行われる、フレディ・マーキュリー追悼コンサートに出演することになったのだ。 コンサートには、フレディと親交の深かったエルトン・ジョンやデヴィッド・ボウイをはじめ、イアン・ハンター、ロバート・プラント、ロジャー・ダルトリー、ポール・ヤング、アクセル・ローズなど数多くのスターたちが駆けつけて、次々に素晴らしいパフォーマンスを披露した。 その中でも、多くの人たちの心に強い印象を残したのが、ジョージ・マイケルの『愛にすべてを』(原題:『Somebody To Love)だ。 ジョージのルーツの一つに、クイーンの音楽があった。 「コンサートに行ける年齢になってからは、クイーンのショウ全部に畏怖の思いで巡礼に行ったよ。ステージにいるフレディを見た時には『すごすぎる…あそこに立つのはいったいどんな感覚なんだろう』って思った」 ジョージは、フレディと同じ感覚を味わったに違いない。何しろ、クイーンのメンバー3人による演奏をバックに『愛にすべてを』を歌ったのだから。 「クイーンの曲、特に『愛にすべてを』を歌うのは、本当に信じられないような気分だった。多分、僕のキャリアで最高の誇らしい瞬間だったよ」 文/TAP the POP サムネイル/Shutterstock 参考文献 『自伝 裸のジョージ・マイケル』(ジョージ・マイケル、トニー・パースンズ著/沼崎敦子訳 CBSソニー出版) 『フレディ・マーキュリー 孤独な道化』レスリー・アン・ジョーンズ著/岩木貴子訳(ヤマハミュージックメディア
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