『ラスト・クリスマス』発売7年後に、ジョージ・マイケルがキャリア史上で最高だと思った瞬間
『ラスト・クリスマス』などで知られる人気ポップデュオの「ワム!」のメンバーだったジョージ・マイケル。ソロとしてもグラミー賞を受賞するなど、数々の華々しい実績を持つ彼だが、そんな彼の中で「最高だと思った瞬間」があったという。そんなエピソードを、彼の命日でもある12月25日にお届けしよう。 【画像】白人アーティストとして史上初全米ブラックアルバム・チャートでNo.1になったアルバム
アイドル的人気の「ワム!」時代からワイルドな大人の魅力を持ったポップスターへ
イェオルイオス・キリアコス・パナイオトゥは、1963年6月25日、ロンドン郊外に住むギリシャ移民の父とユダヤ系の母のもとに生まれた。 その後「ジョージ・マイケル」となった彼は、1980年代半ばに世界的な成功を手にする。 この「ジョージ・マイケル」とは、内気な自分に打ち勝つために、心の中で生み出した架空のスターの名前だった。 「世界中が愛することができるような人物、僕の夢を現して僕をスターにしてくれる誰かを、(素晴らしい友だちというイメージで)創り出したんだ。僕は彼をジョージ・マイケルと呼んだ」 1981年、学生時代からのバンド仲間であるアンドリュー・リッジリーと「ワム!」を結成し、翌年『ワム・ラップ!』でデビュー。 5年ほどの短い活動期間に3枚のアルバムを発表し、『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』『ケアレス・ウィスパー』『ラスト・クリスマス』『フリーダム』『恋のかけひき』といったヒット曲を次々と世に送り出した。 解散後、ソロ・アーティストとして本格始動したジョージ・マイケルは、1987年10月にデビューアルバム『フェイス』を発表。 4曲ものNo. 1ヒットが生まれ、全世界で2,500万枚以上の驚異的なセールスを記録。グラミーのアルバム・オブ・ザ・イヤーをはじめ、数多くの音楽賞を手にした。 アイドル的人気のイメージが強い「ワム!」時代から、ワイルドな大人の魅力を持ったポップスターへと脱皮しただけでなく、セルフ・プロデュースでほぼ全曲のソングライティングと演奏も手掛けた本作で、アーティストとしての底知れぬポテンシャルをまざまざと見せつけたのだった。